總論,律令制,二官,八省,東宮,彈正台,衛府,使廳,藏人所,後宮,家令,其他,太宰府,秋田城,國司,大國,上國,中國,
總論
日本古代官職繁多而複雜,除了朝廷的官職外,還有幕府的官職.
官分四等:
長官(部門管領)
次官(輔佐長官)
判官(檔案審查)
主典
律令制
大和王權形成期時,“姓(カバネ)”是指血緣集團,“氏(ウジ)”則指同族集團。 一方、以皇族(大和大王家族)為中心的支配體制強化,為了更有效錄用血緣及勢力無關人材登用,將官位(冠位)制度(官職位階制度)引進。603年(推古11年)、聖德太子制定“冠位十二階”、その嚆矢である。官位制度從冠位十二階至到律令官位制為止,出現多次的變遷(日本官位制度的變遷,ja:冠位?官位制度の変遷)。
中央官制
二官八省以外其他的監察行政組織的弾正台及宮中等負責守衛的衛府(衛門府、左右衛士府、左右兵衛府)由天皇直轄管理(まとめて、二官八省一台五衛府)。此與“官”是指“役所的事物”,和現在的用法“辦公室職員”有所差異。
二官
太政官-是統管朝廷的最高機關,相當現在的內閣
太政大臣(だじょうだいじん):太政大臣是所有官職中最高的官職,可以說是天皇師傅的名譽職位,這一職務是最重要的,因為沒有適任者就不設定的緣故,該官職空缺的時候很多。織田信長死後受到追贈,豐臣秀吉就任關白後也敘任該職。
左大臣(さだいじん):太政官的長官,總裁太政官所有政務、宮中的典禮等,是朝廷事實上的最高責任者。沒有武家敘任過該職,根據秦(中國)的"丞相府"一詞,左右大臣也被稱為左相府、右相府,簡稱左府殿、右府殿。
弁官局(べんかん):分左右兩部管理八省的部門。左右弁官局中有大弁、中弁、小弁之職。職務是將上命傳達各省,處理庶務。因為要處理太政官內的一切公文,因此非學問出眾者不能當此職。戰國時代公家多有敘任此職者。
少納言(しょうなごん):擔任天皇的文書的重職.後職權衰落,成為管理天皇的官印的有名無實的官職.
八省
長官:內務卿(なかつかさきょう)
次官:內務大輔(なかつかさたいふ)·內務少輔(かつかさのしょう)
判官:內務丞(なかつかさのじょう)
他:侍従(じじゅう)
下設:
左右大舍人寮 - 平城天皇時代左右統合。
紙屋院
內藏寮
縫殿寮
糸所
畫工司 - 808年與內匠寮合併
內禮司 - 808年與彈正台合併
長官:式部卿(しきぶきょう)
次官:式部大輔(しきぶたいふ)·式部少輔(しきぶのしょう)
判官:式部丞(しきぶのじょう)·式部大夫(しきぶのたゆう)
下設:
大學別曹
散位寮 - 896年合併至式部省之內。
民部省:管理地方戶籍、租稅、交通、建設等工作的部門。因為是擔當朝廷的稅收工作,因此是僅次於內務、式部的要職。五奉行的前田玄以敘任民部卿法印,謁見秀吉的松前慶廣擔任民部大輔,秀吉的黃母衣眾青木一重擔任民部少輔一職。
長官:民部卿(みんぶきょう)
次官:民部大輔(みんぶたいふ)·民部少輔(みんぶのしょう)
判官:民部丞(みんぶのじょう)·民部大夫(みんぶのたゆう)
下設:
廩院
主計寮
右弁官局
長官:治部卿(じぶきょう)
次官:治部大輔(じぶたいふ)·治部少輔(じぶのしょう)
判官:治部丞(じぶのじょう)
下設:
諸陵司 - 729年升格為諸陵寮。
喪儀司 - 808年與兵部省之鼓吹司合併。
兵部省:管理武官的人事、諸國的兵馬、城池等一切軍務的部門,負責錄用京和地方的兵士,製成名簿。大內義隆敘任兵部卿。
長官:兵部卿(ひょうぶきょう)
次官:兵部大輔(ひょうぶたいふ)·兵部少輔(ひょうぶのしょう)
判官:兵部丞(ひょうぶのじょう)
下設:
隼人司 - 808年由衛門府編入兵部省。
造兵司 - 宇多天皇時與兵庫寮合併。
鼓吹司 - 宇多天皇時與兵庫寮合併。
主船司 - 廢止。
主鷹司 - 廢止。
長官:刑部卿(ぎょうぶきょう)
次官:刑部大輔(ぎょうぶたいふ)·刑部少輔(ぎょうぶのしょう)
判官:刑部丞(ぎょうぶのじょう)
下設:
囚獄司 - 検非違使抬頭變得有名無實。
贓贖司 - 平城天皇時與刑部省合併。
大藏省:管理諸官廳的收支、諸國的調(田地課稅)、貨幣、金銀、物價的部門。
長官:大蔵卿(おおくらきょう)
次官:大蔵大輔(おおくらたいふ)·大蔵少輔(おおくらのしょう)
判官:大蔵丞(おおくらのじょう)·大蔵大夫(おおくらのたゆう)
下設:
正藏率分所
織部司
漆部司 - 平城天皇時與內務省的內匠寮合併。
縫部司 - 平城天皇時與內務省的縫殿寮合併。
宮內省:總管皇室的收支、衣食、雜務等宮中之事,同時也兼管諸國獻上的食料和御料地(皇室直轄領)。
長官:宮內卿(くないきょう)
次官:宮內大輔(くないたいふ)·宮內少輔(くないのしょう)
判官:宮內丞(くないのじょう)
下設:
木工寮
供御院
主殿寮
釜殿
乳牛院
正親司
進物所
御廚子所
贄殿
造酒司
酒殿
采女司
冰室
筥陶司 - 與大膳職合併。
鍛冶司 - 與木工寮合併。
主油司 - 與主殿寮合併。
內掃部司 - 與掃部寮合併。
內染司 - 與掃部寮合併。
園池司 - 與內膳司合併。
土工司 - 與木工寮合併。
職
京職:擔當京的租稅、商業、道路等民政事務以及司法、警察之事的部門,分左右兩部,各自擔當東西兩半。後來因職權移至檢非違使廳而喪失權力。嚮往京的伊達氏、佐竹氏等諸多東北大名自稱京職,陸奧的岩城重隆敘任左京大夫,津輕為信敘任右京大夫。
長官:左京大夫(さきょうだいぶ)·右京大夫(うきょうだいぶ)
次官:左京亮(さきょうのすけ)·右京亮(うきょうのすけ)
判官:左京進(さきょうのじょう)·右京進(うきょうのじょう)
長官:修理大夫(しゅりだいぶ)
次官:修理亮(しゅりのすけ)
判官:修理進(しゅりのじょう)
長官:大膳大夫(だいぜんだいぶ)
次官:大膳亮(だいぜんのすけ)
判官:大膳進(だいぜんのじょう)
東宮
長官:春宮大夫(とうぐうだいぶ)
次官:春宮亮(とうぐうのすけ)
判官:春宮進(とうぐうのじょう)
主膳監:負責調理皇太子飲食的部門,主膳正還要負責嘗毒。後因為內膳司兼了其職,遂無敘任者。
長官:主膳正(しゅぜんのかみ)
判官:主膳佑(しゅぜんのじょう)
主馬署:管理東宮馬匹、馬具的部門。秀吉的家臣松野重元敘任主馬首一職。
長官:主馬首(しゅめのかみ)
主殿署:負責東宮掃除、入浴準備的部門。
長官:主殿首(しゅでんのかみ主藏監-廢止
舎人監-廢止
主工署-廢止
主書署-與主藏監合併
主兵署-與主藏監合併
主漿署-與主膳監合併
東宮傅(とうぐうふ)
東宮學士
寮
內匠寮:指揮所屬工匠修理宮中器物,管理營造的部門,也負責裝飾典禮時御座的裝飾。
長官:內匠頭(たくみのかみ)
次官:內匠助(たくみのすけ)
判官:內匠允(たくみのじょう)
長官:內蔵頭(くらのかみ)
次官:內蔵助(くらのすけ)
判官:內蔵允(くらのじょう)
縫殿寮:負責天皇、皇后衣服的裁縫,以及調查女官品行和盡職態度的部門。秀吉黃母衣眾小野木重次敘任縫殿助一職。
長官:縫殿頭(ぬいどののかみ)
次官:縫殿助(ぬいどののすけ)
判官:縫殿允(ぬいどののじょう)
大學寮:負責學生教育、考試的部門,寮內分六種學科。
長官:大學頭(だいがくのかみ)
次官:大學助(だいがくのすけ)
判官:大學允(だいがくのじょう)
長官:主計頭(かずえのかみ)
次官:主計助(かずえのすけ)
判官:主計允(かずえのじょう)
長官:主稅頭(ちからのかみ)
次官:主稅助(ちからのすけ)
判官:主稅允(ちからのじょう)
長官:雅楽頭(うたのかみ)
次官:雅楽助(うたのすけ)
判官:雅楽允(うたのじょう)
長官:玄蕃頭(げんばのかみ)
次官:玄蕃助(げんばのすけ)
判官:玄蕃允(げんばのじょう)
長官:木工頭(もくのかみ)
次官:木工助(もくのすけ)
判官:木工允(もくのじょう)
馬寮:分左右兩部飼育、訓練從諸國牧場(武藏、上野、甲斐、信濃)集中的宮中馬匹,管理馬具、飼料的部門。足利義昭等歷代將軍都敘任左馬頭一職。馬寮的唐名又稱典廄署。 左、右馬寮 - 桓武天皇時,左右馬寮合併為主馬寮,後來再分為兩級。 內廄寮(ないきゅうりょう)-奈良時代新設,合併自左、右馬寮
。主馬寮(しゅめりょう)-內廄寮與左、右馬寮合併,平安時代廢止
長官:左馬頭(さまのかみ)·右馬頭(うまのかみ)
次官:左馬助(さまのすけ)·右馬助(うまのすけ)
判官:左馬允(さまのじょう)·左馬大夫(さまのたいふ)·右馬允(うまのじょう)·右馬大夫(うまのたいふ)
兵庫寮:負責兵器管理、買賣的部門。 左?右兵庫(ひょうご)-寮格,與內兵庫等組織統合後再改組成兵庫寮 。內兵庫(ないひょうご)-司格,合併自左、右兵庫
長官:兵庫頭(ひょうごのかみ)
次官:兵庫助(ひょうごのすけ)
判官:兵庫允(ひょうごのじょう)
長官:大炊頭(おおいのかみ)
次官:大炊助(おおいのすけ)
判官:大炊允(おおいのじょう)
主殿寮:負責內里(天皇日常生活之所)的掃除、天皇入浴的準備、管理坐輿的部門。
長官:主殿頭(とのものかみ)
次官:主殿助(とのものすけ)
判官:主殿允(とのものじょう)
長官:典薬頭(てんやくのかみ)
次官:典薬助(てんやくのすけ)
判官:典薬允(てんやくのじょう)
掃部寮:負責宮中的清掃,典禮時場所準備的部門。井伊直孝敘任掃部頭一職。
長官:掃部頭(かもんのかみ)
次官:掃部助(かもんのすけ)
判官:掃部允(かもんのじょう)
圖書寮:負責朝廷書籍管理、國史編纂的部門,也擔當佛經、佛像的管理。
長官:図書頭(ずしょのかみ)
次官:図書助(ずしょのすけ)
判官:図書允(ずしょのじょう)
陰陽寮:負責天文、曆法的制訂,並判斷祥瑞災異,勘定地相、風水,舉行祭儀等。
長官:陰陽頭(おんようのかみ)
次官:陰陽助(おんようのすけ)·陰陽權助(おんみょうごんのすけ)
判官:陰陽大允(おんみょうだいじょう)·陰陽少允(おんみょうしょうじょう)
司
長官:內膳奉膳(ないぜんぶぜん)·內膳正(ないぜんのかみ)
市司:監督京市的部門,分東西兩部管理財物和物價,取締違法營商。片桐且元敘任東市正一職。
長官:東市正(ひがしのいちのかみ)·西市正(にしのいちのかみ)
判官:東市佑(ひがしのいちのじょう)·西市佑(にしのいちのじょう)
隼人司:指揮管理隼人族的部門。九州南部(薩摩、大隈)有著被稱為隼人族的異民族,行動迅速,非常勇猛,被特徵為宮城警備。薄田兼相敘任隼人正一職。
長官:隼人正(はやとのかみ)
判官:隼人佑(はやとのじょう)
織部司:紡染朝廷所需染織物的部門。織部燒的創始人古田重然敘任織部佑一職相當有名。
長官:織部正(おりべのかみ)
判官:織部佑(おりべのじょう)
長官:采女正(うねめのかみ)
判官:采女佑(うねめのじょう)
主水司:管理飲水、粥、酒、冰窖等物的部門。茶人上田重安敘任主水正一職。
長官:主水正(もんどのかみ)
判官:主水佑(もんどのじょう)
彈正台
彈正台:作為中央官職之一獨力於朝廷之外,負責管理風俗,揭發左大臣以下不正行為的部門。後職權為檢非違使廳所奪,成為有名無實的官職。但因為該職有“糾正一切惡徒”的意思,從織田信長開始在武家中一直很有人氣。織田氏代代自稱彈正忠。
長官:弾正尹(だんじょういん)
次官:弾正大弼(だんじょうだいひつ)·弾正少弼(だんじょうしょうひつ)
判官:弾正大忠(だんじょうだいちゅう)·弾正少忠(だんじょうしょうちゅう)
衛府
長官:左近衛大將(さこのえたいしょう)
右近衛大將(うこのえたいしょう)
次官:左近衛中將(さこのえちゅうじょう)·左近衛少將(さこのえしょうしょう)
右近衛中將(うこのえちゅうじょう)·右近衛少將(うこのえしょうしょう)
判官:左近將監(さこんしょうげん)·左近大夫(さこんたいふ)
右近將監(うこんしょうげん)·右近大夫(うこんたいふ)
長官:左兵衛督(さひょうえのかみ)·右兵衛督(うひょうえのかみ)
次官:左兵衛佐(さひょうえのすけ)·右兵衛佐(うひょうえのすけ)
長官:左衛門督(さえもんのかみ)·右衛門督(うえもんのかみ)
次官:左衛門佐(さえもんのすけ)·右衛門佐(うえもんのすけ)
判官:左衛門尉(さえもんのじょう)·右衛門尉(うえもんのじょう)
中衛府(ちゅうえふ)-奈良時代新設,後來被廢止。
授刀衛(じゅとうえい)-奈良時代新設,近衛府的前身
外衛府(がいえふ)-奈良時代新設,近衛府的前身
使廳
勘解由使廳:監察交代國司事務的部門,避免國司利用職權橫行一方。所謂解由,是後任者為向前任者所遞交證明前任者任期中並無租稅等不正行為的證明書,所進行的調查。黑田官兵衛敘任勘解由次官一職。
長官:勘解由長官(かげゆのかみ)
次官:勘解由次官(かげゆのすけ)
判官:勘解由判官(かげゆのじょう)
檢非違使廳:管理京的治安、衛生、民政。職位重要非常,多從家室良好的人物中選拔。起初是檢舉犯人、管理風俗,後也從事訴訟和裁判工作,勢力強大。
長官:検非違使別當(けびいしのべっとう)
次官:検非違使佐(けびいしのすけ)
判官:検非違使尉(けびいしのじょう)
藏人所
藏人所:作為天皇的秘書官經常從事宮中的機密文書,從事與太政官的聯絡和宮中庶務的部門。因為天皇向太政官下命令時,手續複雜容易泄密的緣故,故設此職。多從名門子弟和才能之士中選拔,後勢力擴大,也掌握宮中所有的典禮。還有,藏人頭可說是通往上級大臣的階梯。
長官:蔵人所別當(くろうどどころのべっとう)
次官:蔵人頭(くろうどのとう)
他:五位蔵人(ごいのくろうど)·六位蔵人(ろくいのくろうど)
後宮
後宮十二司
兵司
蔵司
書司
縫司
膳司
酒司
闡司
殿司(主殿司)
掃司
水司
薬司
家令
家令
其他
主要令外官
齋院司
鑄錢司
穀倉院
藏人所
御書所
一本御書所
內御書所
畫所
作物所
御匣殿
樂所
內豎所
院廳
女院廳
後院(淳和院等)
內教坊
崇親院
諸所
造寺司
造京司、造宮司
地方官制
太宰府
治理九州地方的部門,擔當國防、外交等九州一切政務。親王敘任名譽性的帥,大貳是實質性的長官。從右大臣菅原道真以來,太宰府權帥一直作為大臣的流罪、左遷之職。筑前守護武藤氏自鎌倉以來,代代與少貳氏共同出仕太宰少貳之職。與少貳氏相爭的周防大內義隆為求正當性支配北九州,向朝廷申請其上位的大宰大貳獲得準許。
長官:太宰帥(だざいのそち)
次官:太宰大弐(だざいのだいに)·太宰少弐(だざいのしょうに)
秋田城
為防備蝦夷入侵而在出羽國秋田郡所置之城。開始設秋田城司管理該城,後來出羽介專任城務一職,遂有名無實化,但這一官職仍舊作為武家的榮耀保存了下來。織田信忠攻打美濃國岩村城時因戰功敘任秋田城介。北羽的安東(秋田)氏代代自稱此職。
長官:秋田城司(あきたじょうのつかさ)
次官:秋田城介(あきたじょうのすけ)
國司
置於各國的地方官,相當現在的知事,總管該國的行政、司法、警備等一切政務。長官稱為守,次官稱為(介)上總、常陸、上野三國是親王屬國,因此介是實質上的長官。國司與中央貴族相比地位要低。各國根據人口分成大、上、中、下四類,戰國時代有許多武將自稱國司。
大國
上総介 常陸介 上野介 大和守 河內守 伊勢守 武蔵守 下総守 近江守 陸奧守
越前守 播磨守 肥後守
上國
下野守 出羽守 加賀守 越中守 越後守 丹波守 但馬守 因幡守 伯耆守 出雲守
美作守 備前守 備中守 備後守 安芸守 周防守 紀伊守 阿波守 贊岐守 伊予守
筑前守 築後守 肥前守 豊前守 豊後守
中國
阿波守 若狹守 能登守 佐渡守 丹波守 石見守 長門守 土佐守 日向守 大隈守
薩摩守
下國
和泉守 伊賀守 志摩守 伊豆守 飛騨守 隠岐守 淡路守 壱岐守 対馬守
特殊官職
特殊官職
這裡介紹一些珍稀的官位。
攝政 關白:攝政是代行幼年天皇政事之職,關白是輔佐成人天皇行政事之職。此二職均由當時官位最高大臣兼任。羽柴秀吉做關白近衛前久之養子,從而敘任關白。太閤則是該人辭去關白,其子就任關白的情況下,該人的稱號。
帶刀先生:帶刀是警備東宮的人員,其首領被稱為帶刀先生,多用長於武藝射藝之人。若玩忽職守將立被免職。作為警備關白武官的豐臣三中老之一的堀尾吉晴敘任帶刀從五位下。
琉球守:尼子氏重臣龜井茲矩所稱的官職(原本無此一職)主家滅亡後他成為豐臣秀吉的家臣,在姬路城論功行賞他被授予因幡半國之際,自願渡海攻取琉球。秀吉感動之餘賜一團扇,正面寫著"龜井琉球守殿"反面寫有秀吉的標記。後來茲矩從事朱印船貿易,在長崎試建西洋型帆船,琉球守一職確實很合適其人。
三浦介:最初以相模國三浦郡為大本營的三浦義明被稱為三浦大介,後源賴朝任命義明的次男義澄為三浦介,得以世襲。北條氏滅亡後,該職空缺,奧州的蘆名盛隆向織田信長獻上名馬三頭,蠟燭千支,在信長的斡旋之下敘任該職。
官職列表
太政大臣 | |||||||||
正二位 從二位 | 別當 | ||||||||
從三位 | 帥 | 尹 | |||||||
正四位上 | 中務卿 | ||||||||
正四位下 | 七省卿 | ||||||||
從四位上 | 左右大弁 | ||||||||
從四位下 | 伯 | 大弼 | 頭 | ||||||
正五位上 | 左右中弁 | 大弐 | 中務大輔 | 督 | |||||
正五位下 | 左右少弁 | 七省大輔 大判事 | 少弼 | 五位藏人 | |||||
從五位上 | 中務少輔 | 督 | 大國守 | ||||||
従五位下 | 大副 | 少納言 | 少弐 | 佐 | 上國守 | ||||
正六位上 | 少副 | 左右弁大史 | 大內記 | 大忠 | 六位蔵人 | ||||
正六位下 | 大監 | 少忠 | 佐 | 大國介 中國守 | |||||
從六位上 | 大祐 | 上國介 | |||||||
從六位下 | 少祐 | 大判事 | 大尉 | 下國守 | |||||
正七位上 | 大外記 左右弁少史 | 大工 少判事 大典 防人正 | 中內記 八省大録 | 大疏 | 少尉 | ||||
正七位下 | 主神 | 巡察 | 大尉 | 大國大掾 | |||||
從七位上 | 少外記 | 少尉 | 大國少掾 上國掾 | ||||||
從七位下 | 博士 | 大典鑰 大解部 大藏少主鑰 | |||||||
正八位上 | 少內記 八省少錄 少主鈴 典履、典革 | 少疏 | 中國掾 | ||||||
正八位下 | 大史 | 大志 醫師 | |||||||
從八位上 | 少史 | 少典鑰 | 少志 | 大志 醫師 | 大國大目 | ||||
從八位下 | 刑部少解部 治部少解部 | 少志 | 大國少目 上國目 | ||||||
大初位上 | |||||||||
大初位下 | 中國目 | ||||||||
少初位上 | 下國目 | ||||||||
少初位下 |