清水寺

清水寺

清水寺位於京都東部音羽山的山腰,始建於778年,是京都最古老的寺院,曾數次被燒毀並重建,後於1994年被列入世界文化遺產名錄。

本堂前懸空的清水舞台是日本國寶級文物,四周綠樹環抱,春季時櫻花爛漫,是京都的賞櫻名所之一,秋季時紅楓颯爽,又是賞楓勝地。

清水寺的茶藝名列京都之首。

基本介紹

  • 中文名稱:清水寺
  • 外文名稱:清水寺
  • 地理位置:京都府京都市東山區清水1-294
  • 占地面積:13萬平方米
  • 開放時間:6:00-18:00
  • 門票價格:【成人】400日元(約24人民幣)
  • 著名景點:音羽瀑布
  • 適宜遊玩季節:春秋皆宜
  • 所屬國家:日本
  • 所屬城市:京都市
  • 建議遊玩時長:4小時
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歷史沿革

清水寺是京都最古老的寺院,被列為日本國寶建築之一。
清水寺的由來是公元778年(寶龜9年),從延鎮上人在音羽的瀑布上參拜觀音而開始的。到了延曆17年(798年),坂上田村麻呂改建為佛殿,從此成為恆武天皇的敕願寺。
清水寺的山號為音羽山,主要供奉千手觀音。占地面積為13萬平方米,慈恩大師創建。
相傳慈恩大師是唐僧玄奘在日本的第一個弟子。現存清水寺為西元1633年由德川家光捐資重修的。原屬法相宗,現自立為大本山北法相宗。
清水寺與金閣寺(鹿苑寺),嵐山等是京都最為著名的名勝古蹟,四季朝拜者不斷。
另與石山寺(滋賀縣大津市),長谷寺(奈良縣櫻井市)等自古以來做為日本為數不多的觀音靈地而聞名,平安時代以來,經常出現於日本文學作品當中。
1994年,作為古京都文化遺產的一部登錄於世界遺產名錄上。是西國三十三個所(在關西地區參拜33所觀音廟的巡訪活動)中第16所寺廟。
清水寺因寺中清水而得名,順著奧院的石階而下便是音羽瀑布,清泉一分為三,分別代表長壽,健康,智慧,被視為具有神奇力量,遊客路經此地一定會來喝上一口水,據說可預防疾病及災厄. 相傳延鎮上人於778年在此開山後,由大將軍坡上田村麻呂於798年興建。
清水寺舞台清水寺舞台
現存的大部分建築始建於公元1633年,被定為國寶的主堂是由139根立柱支撐的,宛如碩大的舞台,又稱“清水舞台”。
本堂的下方有著名的“音羽瀑布”,與祈求分娩順利的“子安塔”,後者被列為世界文化遺產,清水寺建於音羽山上,為日本佛教北法相宗的總院。寺院周圍是京都的名勝古蹟,春天櫻花盛開,秋天紅葉似火。

寶亀安政

年號 西曆 內容
寶亀 9 778大和子嶋寺の賢心、夢告により清泉を尋ねて音羽の滝に至り、永年修行の行叡居士に観音霊木を受け雕像奉祀し寺を創建。
寶亀 11 780 坂上田村麻呂公、音羽の滝の清水に導かれて滝上に止宿・練行中の賢心に遭い、観音に帰依して仮仏殿を造立し、十一面千手観世音菩薩を安置、寺を創建。賢心、名を延鎮と改める。
延暦 14 795 延鎮の師、子嶋寺開祖の報恩大師、寂。延鎮、子嶋寺二世住職を兼務する。
延暦 17 798 田村麻呂公、延鎮上人と力を合せ、更に伽藍を造替え、本尊金色八尺の千手観音像、脇侍に、地蔵菩薩・毘沙門天像を安置する。
弘仁 1 810 鎮護國家の道場となり、「北観音寺」の法號を賜い、「清水寺」の額を掲げる。
弘仁 12 821 6月17日、開山・延鎮上人、入寂。
承知 14 847 嵯峨天皇・皇子誕生祈願により葛井親王、三重の塔を創建。
承平 7 937 轟門に多聞天・持國天を奉祀する。
長保 1 999 清水寺・上綱、名說教僧の清范(962~99)入寂。
○奈良・興福寺の末寺関系を強める。
○藤原道長の「御堂関白記」や「源氏物語」「枕草子」などに清水寺參詣・參籠盛行の様子が記される。
○南都・興福寺と北嶺・延暦寺の抗爭によって、興福寺の最前線に立たされ続ける。
康平 6 1063 8月、火災に遭い堂宇焼失。翌年6月、落慶法要を修す。願文は藤原明衡の起草(「清水寺縁起」を記述す)。
寛治 4 1090 白河上皇・てい子內親王行幸、7日間參詣される。翌年、本堂以下全焼。
○「今昔物語」に清水寺観音の霊験物語十話が載る。
○藤原成通が本堂舞台の欄幹上を蹴鞠で往復する。
永萬 1 1165 比叡山僧兵が大挙來襲、本堂以下ことごとく焼き討ちす。
治承 3 1179 5月、祇園社・神人ら襲來し一山烏有に帰す。
文治 4 1188 阿彌陀堂において、法然上人、不斷念仏を修し「日本最初・常行念仏道場」となる(法然上人ニ十五霊場・第十三番霊場)
○「新古今集」に清水の観音を詠んだ和歌ニ首が収められる。
承久 2 1220 3月、本堂・釈迦堂・三重塔が焼失。
○「平治物語」「平家物語」に清水寺信仰が記述される。
正元 1 1259 4月、火災の為、本願堂・塔二基・中門・西門・地蔵堂・二社など焼失。
文永11 1274 12月、火災により本願堂・塔二基・大門・西門・車寄など焼失。
建武 2 1335足利尊氏(1305~58)、相模國糟屋荘を寄進。
翌年、自身の安楽世と弟直義の今生果報を祈る願文を奉納
応永 29 1422 15年前に落雷焼失した諸堂、落慶供養。
○謠曲(能)「田村」「盛久」「熊野」、狂言「おちゃのみづ」「ゐぐい」「いもじ」や、說話「一寸法師」「梵天國」「閒吟集」などに沢山取材される。
文明 1 1469 7月、本堂・塔以下の諸堂、応仁の亂の兵火に遭い焼失。
文明 10 1478 4月、願阿上人の大勧進により梵鐘を鋳る。
文明 11 1479 願阿上人、勧進狀・奉加帳を作り、西日本全域に諸堂復興の勧進活動を開始。16年、諸堂落慶。
永正 7 1510 朝倉貞景、法華三昧堂(朝倉堂)を寄進。
永正 14 1517 「清水寺縁起絵巻」製作さる(土佐光信畫、中御門宣胤ら筆)
天文 17 1548 4月、三重塔落慶供養あり。
○「清水寺參詣曼荼羅」描かれ、寺僧の全國布教盛んとなる。
武田信玄の願文が奉納される。
天正 17 1589 豊臣秀吉、寺領寄進、門前境內地子免除の朱印狀を下す。
慶長 12 1607 鐘樓再建さる。
○「洛中洛外図」に名所として必ず描かれる。
○江戸幕府より、所領安堵の朱印狀を受ける。
寛永 6 1629 9月、本堂以下焼失、春日社・鐘樓・仁王門・馬駐ら殘る。
寛永 8 1631 2月、徳川家光、清水寺の再建を発願、西門・釈迦堂再建され、翌年、三重塔も再建。
寛永 10 1633 11月、本堂・奧の院その他の諸堂も再建さる。
○扁額絵馬「末吉船図」「角倉船図」ら奉納される。
寛永 16 1639 成就院が再建され、庭園も修築される。
○三職(執行ー寶性院、目代ー慈心院、本願ー成就院)、五院(義乗院・延命院・智文院・光乗院・円養院)の運営體制をとる。
○歌舞伎・人形浄瑠璃に清水物あり、扁額絵馬の奉納多くなる。
元祿 4 1691 オランダ商館員ケンペル來山。
享保 3 1718 盛松権律師、慈心院を再興。
享保 18 1733 慈心院・隨求堂に大隨求菩薩坐像を奉祀。
文政 9 1826 シーボルト來山、岸駒「虎の図」石燈篭奉納。
天保 6 1835 忍向、成就院第二十四世住職となる。弟の信海、高野山に上り、真言密教と子島流を修學。
嘉永 7 1854 信海、成就院第二十五世住職となる。忍向(月照)隠居し、近衛忠熙公に歌道入門、勤皇活動をする。
安政 5 1858 11月16日、忍向、西郷隆盛と共に錦江灣に入水し入滅。
安政 6 1859 3月16日、信海、江戸小冢原にて獄死。

明治

明治 1 1868 神仏分離令が出され鎮守の地主権現社が「地主神社」として分離獨立する。
明治 3 1870 寺社領上地令によって境內地が1/4(約13萬㎡)に縮小される。
明治 5 1872 8月、京都府が舞台からの飛びおり禁止令を出す。
明治 18 1885 法相宗へ復帰。
明治 30 1897 本堂(舞台を含む)、特別保護建造物(國寶)に指定される。
明治 35 1902 6月、本堂大修理完成し、16日間、本尊御開扉法要。
明治 36 1903 木造十一面観音立像、重要文化財に指定される。
明治 40 1907 渡海船(末吉・角倉船)図の絵馬四面、重要文化財に指定される。
明治 41 1908 西門・鐘樓、國寶…特別保護建造物に指定される。谷口香轎「殘月山姥の図」を寄進。

大正

大正 3 1914 大西良慶和上、奈良・興福寺より兼務住職で晉山。翌年8月1日~5日、盂蘭盆會法話を開始。
大正 7 1918 百體地蔵堂新築。富田渓仙「鬼子母神」「伎芸天」寄進。
大正 15 1926 本堂舞台修理完成落慶法要。能楽奉納される。阿彌陀堂修理。

昭和

昭和 9 1934 9月、室戸颱風により音羽山全山樹木倒れ、本堂西迴廊倒壊。
昭和 18 1943 成就院・庭園、名勝に指定される。
昭和 23 1948 開山堂・奧の院・仁王門・西門を修理。
昭和 25 1950 本堂舞台大修理完成。西門・鐘樓、木造十一面観音・毘沙門天像・渡海船図絵馬四面、重要文化財に指定される。
昭和 27 1952 舞台を含む本堂、國寶に指定され、馬駐、重要文化財に指定される。
昭和 32 1957 鉄鱷口、重要文化財に指定される。
昭和 40 1965 北法相宗を立宗。大西良慶和上、初代管長に就任。境內、古都保存地區に指定される。
昭和 41 1966 仁王門・三重塔・経堂・開山堂・轟門・朝倉堂・釈迦堂・阿彌陀堂・奧の院・子安の塔・北総門・春日社の十ニ堂塔、重要文化財に指定される。北法相宗・仏教文化講座(唯識法話)定例月2回開始。
昭和 42 1967 本堂・奧の院、修理完成し本尊御開扉法要厳修。
昭和 47 1972 7月、豪雨により釈迦堂倒壊。
昭和 50 1975 釈迦堂復舊落慶法要。木造大日如來坐像、重要文化財に指定される。
昭和 51 1976 伝観音・勢至菩薩立像、重要文化財に指定される。本堂西廻廊落慶。
昭和 53 1978 梵鐘、重要文化財に指定される。
昭和 58 1983 2月15日、大西良慶管長入寂(數え109歳)
昭和 59 1984 大講堂落慶法要。仏足石奉祀。
昭和 60 1985 朝比奈草摺曳図絵馬、重要文化財に指定される。
昭和 62 1987 三重塔解體修理・彩色復元落慶。

平成

平成 1 1989 開創1200年記念「京都・清水寺展」開催(東京・名古屋・大阪・新潟・富山・福岡・京都・高松・札幌,本山で平成3年10月まで開催)。
平成 2 1990 本堂舞台・奧の院舞台、全面張替え落慶。寺史編纂委員會発足。
平成 4 1992 春季・夜の特別拝観を開始
平成 5 1993 千日詣り宵參り復活。
平成 6 1994 西門檜皮屋根葺き替え・彩色復元落慶。訪中仏跡巡拝団、宗祖・慈恩大師墓塔參拝。
平成 8 1996 阿彌陀堂彩色復元落慶
平成 9 1997 中興堂落慶
平成 12 2000 経堂解體修理落慶。御本尊御開帳(3/3~12/3)。
平成 13 2001 御本尊御開帳記念「京都・清水寺展」開催(東京・名古屋・大阪)。
平成 14 2002 御本尊御開帳記念「京都・清水寺展」開催(熊本・鹿児島・盛岡)。
平成 15 2003 寛永再建370年記念 奧の院御本尊御開帳(3/7~12/7)。

交通信息

公交

在JR【京都】站轉搭往【東山通北大路公車總站】(東山通北大路バスターミナル)的市公車206號,在【五條坂】站下車,徒歩約10分鐘即可抵達。
在JR【京都】站轉搭往【清水寺袛園 銀閣寺】的市公車100號,在【五條坂】站下車,徒歩約10分鐘即可抵達。
在JR【京都】站轉搭往【大原】的京都公車18號,在【東山五條】站下車,徒歩約10分鐘即可抵達。※京都公車唯有在周末及日本國定假日行駛。

電車

在京阪電氣鐵道京阪本線【袛園四條】站或阪急電鐵京都線【河原町】站轉搭往【福寺・九條車庫】市公車207號,在【清水道】站下車,徒歩約10分鐘即可抵達。
在京阪電氣鐵道京阪本線【袛園四條】站或阪急電鐵京都線【河原町】站轉搭京阪公車83、85、87或88號,在【清水道】站或【五條坂】下車,徒歩約10分鐘即可抵達。
由京阪電氣鐵道京阪本線【清水五條】站徒歩約25分鐘即可抵達。
在京阪電氣鐵道京阪本線【七條】站轉搭往【東山通北大路公車總站】的市公車206號,或轉搭往【清水寺袛園 銀閣寺】的市公車100號,在【五條坂】站下車,徒歩約10分鐘即可抵達。

自駕

在名神高速【京都東交流道】下高速公路,8公里約20分鐘即可抵達。

主要景點

清水寺(Kiyomizu Temple)內有一瀑布,名音羽瀑布,流水清洌,終年不絕,其清泉分為三個部分,據說每個部分都有神奇的力量,分別為長壽、智慧、健康,如果遊客經過此地的話一定要喝上一口喔。
該清泉被列為日本十大名泉之首,清水寺的寺名也因此而來。
清水寺正殿供奉著十一面千手觀音立像,每年日本清明節時才會對外開放,讓遊人以及前來祭拜的本地人參觀。

相關建築

清水寺(きよみずでら、せいすいじ)
1.京都府京都市東山區にある寺院、音羽山清水寺(おとわさんきよみずでら)。解說は別項清水寺 (京都市)を參照。
2.大阪府大阪市にある寺院、有棲山清水寺。新西國霊場客番、摂津國八十八個所第26番、近畿三十六不動尊霊場第2番。
千葉県いすみ市岬町にある寺院。音羽山清水寺(おとわさんきよみずでら)。一名清水観音。坂東三十三個所第32番札所。公式ホームページ
兵庫県加東市にある天台宗の寺院、御嶽山清水寺(みたけさんきよみずでら)。西國三十三個所第25番札所、播州薬師第10番札所。解說は別項清水寺 (加東市)を參照。
島根県安來市清水町にある天台宗の寺院、瑞光山清水寺(ずいこうさんきよみずでら)。出雲観音霊場、中國観音霊場。牛若丸に出會う前の若き日々に武蔵坊弁慶が修行したことでも有名。公式ホームページ
新潟佐渡市にある真言宗の寺院、東光山清水寺(とうこうざんせいすいじ)。大同3年(808年)に京都音羽山清水寺を模して建立され、その舞台を模した救世殿がある。佐渡四國八十八ヶ所霊場74番札所。公式ホームページ

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