松代藩

松代藩,日本江戶時代的一個藩,位於信濃國埴科郡松代町(現屬長野縣長野市),是信濃境內最大的藩,藩主居於松代城,統治川中島地區的四個町。酒井家、松平家和真田家先後被封於此。該藩曾名川中島藩,為森忠政領地佐久間象山即出身於該藩。其藩主後代在明治維新中被封為子爵,後升為伯爵

基本介紹

  • 中文名:松代藩
  • 外文名:松代藩
  • 藩主:川中島藩
  • 外様: 137,500石 
歷代藩主
川中島藩
森家
外様 137,500石
忠政(ただまさ)〔從四位下、右近大夫棕籃探拔・侍從〕 1600年(慶長5年:美濃國金山移來)-1603年(慶長8年:移去美作國津山藩)
松平(まつだいら)家
親藩 140,000石
忠輝(ただてる)〔從四位下、左近衛少將〕 1603年(慶長8年:下總國佐倉藩移來)-1610年(慶長15年:移去越後國高田藩)
松求全代藩
松平〔越前〕(まつだいら〔えちぜん〕)家
親藩 120,000石
忠昌(ただまさ)〔從五位下、伊希備察予守〕 1616年(元和2年:常陸國下妻藩移來)-1619年(元和5年:移去越後國高田藩)
酒井(さかい)家
譜代 100,000石
忠勝(ただかつ)〔從四位下、宮內大輔〕 1619年(元和5年:越後國高田藩移來)-1622年(元和8年:移去出羽國莊內藩)
真田(さなだ)家
外様(譜代格) 100,000石
信之(のぶゆき)〔從五位下、伊豆守〕 1622年(元和8年:信濃國上田藩移來)-1656年(明歷2年)
信政(のぶまさ)〔從五位下、內記〕 1656年(明歷2年)-1658年(萬治元年)
幸道(ゆきみち)〔凳海樂從四位下、伊豆守〕 1658年(萬治元年)-1727年(享保12年)
信弘(のぶひろ)〔從五位下、伊豆守〕 1727年(享保12年)-1736年(元文元年)
信安(のぶやす)〔從五位下、伊豆守〕 1737年(元文2年)-1752年(寶曆2年)
幸弘(ゆきひろ)〔從四位下、右京大夫〕 1752年(寶曆2年)-1798年(寬政10年)
幸専(ゆきたか)〔從四位下、弾正大籃漿遙弼〕 1798年(寛政10年)-1823年(文政6年)
幸貫(ゆきつら)〔從四位下、右京大夫〕 1823年(文政6年)-1852年(嘉永5年),1841年(天保12年)-1844年(弘化元年)曾擔任老中
幸教(ゆきのり)〔從四位下、右京大夫〕 1852年(嘉永5年)-1866年(慶應2年)
幸民(ゆきたみ)〔從辣譽料二位、信濃守〕 1866年(慶應2年)-1869年(明治2年:版籍奉重催多愚還)

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