土曜18時に枠移動[編集],番組名について[編集],番組名タイトル[編集],オープニングテーマ[編集],次回予告[編集],エンディングの提供読み[編集],出演者について[編集],公開収録[編集],
1964年3月29日に特集番組として放送されたことに端を発し、同年8月31日よりレギュラー番組として、特集版の司會も擔當した歌手の越路吹雪を司會役に據えて、本格的にスタート。落ち著いた雰囲気で、毎回違う歌手の共演、格調高い演出などで知られ、海外のアーティストの出演も多い。
1967年5月1日放送よりモノクロからカラー放送に切り替え、1978年10月3日よりステレオ放送となる。
フジテレビのもう一つの看板音楽番組であった『夜のヒットスタジオ』とも異なる、その大きな違いは放送時間や生放送か否かという點以外にも、番組構成・選曲・人選の面で、その時折の曲を中心とするのではなく、あくまでも日本や海外のスタンダードナンバーを中心とする選曲、ゲストの人數を1 - 3組程度に絞り込むという少數ゲスト制、アイドル歌手よりもベテラン・実力派を重寶するという點で獨自の番組カラーを打ち出した。
スタッフには大ベテランのエグゼクティブプロデューサーにして現役ディレクター石田弘がいる。2008年10月4日放送分(『MUSIC FAIR』改題後)は、エンディングのクレジットに『製作・フジテレビ音組』が入った。
なお、ミュージックフェアが當初から30分番組の理由は薬事法や制薬業界の宣伝・景品に関する規約(公正競爭規約)等によるものではなく、制薬會社側が自主的に31分以上の一社提供を避けているためである(紳士協定)。ちなみに、參議院選挙および眾議院選挙の開票が即日になるまでの日曜日は、當日の夜も放送していた。ただし、日曜日時代の1989年1月8日は、昭和天皇崩御による特別報導のため休止され、翌周の1月15日に改めて放送された(この日は生前最後の同番組出演となる美空ひばり特集だった)。また、放送枠が選挙開票特番になった場合でも、23時台前半枠は、塩野義制薬の1社提供枠でセールスされていた(『スーパーナイトFNN選挙開票速報2時間スペシャル』も含む)。
土曜18時に枠移動[編集]
2001年4月7日より、番組名を『MUSIC FAIR 21』にリニューアルし、日曜23時台前半から、それまで夕方の全國ニュース(『FNNスーパータイム』→『FNNニュース ザ・ヒューマン』→『FNNスーパーニュース』)を放送していた土曜18時台前半に移動した。この4度目の枠移動は1983年10月以來、17年半ぶり。テーマ曲の「今夜は夢のミュージックフェア」という歌詞はそのままであるものの、以前の放送時間よりもかなり早い時間での放送となっている。
リニューアル後は、舊來からのスタイルを殘しつつもVTRを用いた過去のエピソードのコーナー(転機など)や、好きな食べ物を紹介する「この一食」コーナーも企畫されていたが、いずれも半年ほどで終了し、リニューアル前の狀態に戻されている。また、新しくエンディングにて出演歌手との記念撮影のコーナーも新設され、その寫真が応募した視聴者にプレゼントされるという企畫も行われていたが(掛け聲は「ミュージックフェア21」だったが、初期は「MF21」と言っていた)、こちらも2008年9月をもって終了している。
『FNSの日』の放送日に関しては、2001年・2003年の場合は休止した。しかし、2004年以降は開始時間が18:30や19:00に繰り下がるようになったため、『FNSの日』の放送日でも放送されていて、2009年7月25日には『FNS26時間テレビ』の関連企畫で「緊急特集ヘキサゴンファミリー総力コラボ」として放送された。
2004年3月27日放送分で放送2,000回を達成した。2007年10月6日18:00(JST)から、音組とのコラボレーション企畫でオフィシャルホームページが開設。
2008年3月で放送2,200回を迎えたことに伴い、3月は1か月にわたり、2,200回特別月間として豪華アーティストの共演(最終周のみ総集編)を放送した(2008年2月21日、東京國際フォーラムにて収録)。
2009年4月以降は1組だけの企畫を「ワンマンショー」と題したり、2回連続企畫を定期的に行っている。2009年10月3日放送分(2,280回)からは地上アナログ放送ではレターボックスでの放送に移行した。それに伴い、再度リニューアルを実施した。
2010年3月で放送2300回を迎えたことに伴い、2月26日に大阪厚生年金會館ホールにて公開収録が行われ、3月に4周連続で2300回記念特番として放送された(翌周4月3日も総集編を放送)。
2010年12月4日放送分は同日のゴールデンタイムに『2010 FNS歌謠祭』が生放送されるため、本番組も生放送編成で『2010 FNS歌謠祭』の出演歌手がゲスト出演する形式となり、実質本番組のプレ番組のような扱いであった。『2010 FNS歌謠祭』の會場には本番組の司會者である鈴木杏樹・恵俊彰も姿を見せていた。なお、土曜日のゴールデンタイムの編成を日本テレビ系列に定めているため『2010 FNS歌謠祭』を同時ネットできないテレビ大分でもこの回の本番組は通常通り同時ネットで放送された。
かつては年末年始であっても通常通り放送されたが、近年は少なくとも1周は休止されていて、2009年11月7日のプロ野球日本シリーズ第6戦『北海道日本ハム×巨人』、翌2010年11月6日の日本シリーズ第6戦『中日×千葉ロッテ』を中継し、さらには2011年3月12日の東日本大震災地震特番を放送、年末年始以外では珍しく本番組は休止となった。
當時裏番組であった、毎日放送製作によるTBS系列の『土6』アニメのテーマ曲のメドレーのような編成にたまたまなった事例も、少なくとも一回ある。また、現在の裏番組となっている『名探偵コナン』の主題歌を歌うビーイング系歌手(BREAKERZ、倉木麻衣など)では問題なく出演している。
最近のバラエティー番組や音楽番組などでは、なぞりテロップの多用が目立つが、當番組では行われていない。なお、喋った內容は字幕放送で確認できるほか、畫面左上に質問內容などのヘッダが表示されている。
番組名について[編集]
1999年まで『ミュージックフェア』の後に西暦の下2桁('yy)を付して用いていたが、2000年以降は行っていない(これは、同局の『ドリフ大爆笑』、『ニュースJAPAN』にも同じ措置がなされている)。
4度目の枠移動に合わせて、2001年4月7日から2008年9月27日までの7年半の間は世紀を示す數字を加えて『MUSIC FAIR 21』(-にじゅういち)となったが、不評により、2008年10月4日から、2001年3月25日以來7年半ぶりに再度『MUSIC FAIR』に戻っている(この英字ロゴは、長門・南田夫妻時代の最末期にあたる1980年頃から並用されている)。
番組名タイトル[編集]
「シオノギミュージックフェア'西暦」(~1993年12月)
「シオノギ MUSIC FAIR'西暦」(1994年1月~1996年9月)
「SHIONOGI MUSIC FAIR'西暦」(1996年10月~1999年12月)
「SHIONOGI MUSIC FAIR」(2000年1月~2001年3月25日、2008年10月4日~現在)
「SHIONOGI MUSIC FAIR21」(2001年4月7日~2008年9月27日)
オープニングテーマ[編集]
オープニングテーマ曲は保富康午作詞・山本直純作曲によるもの。編曲はその都度変わり、現在は武部聡志が擔當している。
歌い手はザ・ピーナッツ→森山良子→サーカスを経て、2011年現在はゴスペラーズが受け持っている
番組中で歌われる歌詞についてはオープニングタイトルの変更や歌手の交代に際して改定されている。1997年3月までは「♪歌おう踴ろう今夜はみんなのラララミュージックフェアー輝く喜び今夜は夢のラララミュージックフェアー」で始まっていた(後に塩野義制薬の30秒CMを挾んでからのスタートだった)。同年4月以降は一部歌詞が改められ、現在の「♪歌おう踴ろう今夜は夢のラララミュージックフェアー」となった。
なおこれとは別に、ミュージカル・アカデミーが歌唱したテーマ曲も使用されていた。このテーマ曲は、舊・CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)から発売されていた「オリジナル版懐かしのテレビ番組テーマ大全集 昭和28〜43年」に収録されていたが、現在は廃盤となっている。
オープニングタイトル・エンディングタイトル[編集]
1993年12月までは、番組の開始時にテーマソングに乗せながら出演者紹介とタイトル、そして提供クレジットの順番で流れていた。また、出演者紹介後のオープニングタイトル・エンディングタイトル(「おわり」を除く)・提供クレジットはブルーバックの中央に白く四角に抜かれた部分に表示していた('83、'87、'88はブルーバックの中央に白いラインに抜かれた部分に、'89のみブルーバックに表示)。年度によって少々違っており、'79、'80、'84、'85、'86、'90、'91、'92、'93はブルーバックの中央に白く四角に抜かれた部分に表示。なお、'79、'80は出演者紹介なしでタイトルへすぐ進む。'87、'88は白いラインにオレンジの縁取りがつく。'90、'91は中央に赤い線が入る。'86は年號を除きタイトルが白く四角に抜かれた部分に、年號がブルーバックに表示。'92、'93は中央に桃色の線が入る。'89、'92は年號がゴシック體に、'90、'93は年號が明朝體に表示。なお司會者の挨拶および1曲目の開始はCM明けで本編が始まると次回予告前までCMが一切なかった。
年度によって少々違っており、'79、'80、'84、'85、'86、'90、'91、'92、'93はブルーバックの中央に白く四角に抜かれた部分に表示。なお、'79、'80は出演者紹介なしでタイトルへすぐ進む。'87、'88は白いラインにオレンジの縁取りがつく。'90、'91は中央に赤い線が入る。'86は年號を除きタイトルが白く四角に抜かれた部分に、年號がブルーバックに表示。'92、'93は中央に桃色の線が入る。'89、'92は年號がゴシック體に、'90、'93は年號が明朝體に表示。なお司會者の挨拶および1曲目の開始はCM明けで本編が始まると次回予告前までCMが一切なかった。
1994年1月~1996年9月までは、以下のパターンとなった。1曲目終了→司會者の挨拶→スタジオをバックに「"シオノギ MUSIC FAIR"」が畫面中央に表示→表示が「提供 シオノギ制薬」に変わる→CM入り→2曲目今回よりオープニングタイトル及びエンディングタイトルともに「″MUSIC FAIR″」のロゴに統一された。また、EDの提供クレジットおよび同タイトルはスタジオバックに表示されるようになった。
1曲目終了→司會者の挨拶→スタジオをバックに「"シオノギ MUSIC FAIR"」が畫面中央に表示→表示が「提供 シオノギ制薬」に変わる→CM入り→2曲目
今回よりオープニングタイトル及びエンディングタイトルともに「″MUSIC FAIR″」のロゴに統一された。また、EDの提供クレジットおよび同タイトルはスタジオバックに表示されるようになった。
1996年10月~1997年3月までは、テーマソングに乗せながら以下のようなアニメーションで流れる。「白い雲を模した背景に"MUSIC FAIR"が表示」→「楽譜」→「寶石が8個出てきて回転」→「その1個がクローズアップ」→「出演者紹介」→「楽譜に戻り、音符が大量に出て消える」→「"MUSIC FAIR"の文字が回転しながらフェードイン」→「"SHIONOGI"の文字が上に、年號が右上にそれぞれ出る」→表示が「提供 シオノギ制薬」に変わる。
「白い雲を模した背景に"MUSIC FAIR"が表示」→「楽譜」→「寶石が8個出てきて回転」→「その1個がクローズアップ」→「出演者紹介」→「楽譜に戻り、音符が大量に出て消える」→「"MUSIC FAIR"の文字が回転しながらフェードイン」→「"SHIONOGI"の文字が上に、年號が右上にそれぞれ出る」→表示が「提供 シオノギ制薬」に変わる。
1997年4月~1999年12月までの流れ1曲目終了後→テーマソングに乗せ、「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」の文字が畫面中央あたりにゆっくり拡大してきて、年號が右上に表示→畫面が白い雲を模した背景になり「提供 シオノギ制薬」が表示されるが、このときからBGMがCM直前まで流れるようになった(前回では提供クレジット時は無音だった)。
1曲目終了後→テーマソングに乗せ、「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」の文字が畫面中央あたりにゆっくり拡大してきて、年號が右上に表示→畫面が白い雲を模した背景になり「提供 シオノギ制薬」が表示されるが、このときからBGMがCM直前まで流れるようになった(前回では提供クレジット時は無音だった)。
2000年1月~2001年3月までは、以下のパターンとなった(これは、前述の通り年號が右上に表示されなくなったため)。1曲目終了後→テーマソングに乗せ、「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」の文字が畫面中央あたりにゆっくりと拡大→畫面が白い雲を模した背景になり「提供 シオノギ制薬」が表示される。ただしこの時期にアーティストの曲を中心に據える回があり、このときは會場をバックに「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」とだけ表示され、すぐ1曲目に入った。そして1曲目の終了後に司會者をバックに寫しながら、畫面中央もしくは下部に「提供 シオノギ制薬」と表示されるのみであった(提供コメントなし)。1996年10月~1997年3月までは、司會者の挨拶および1曲目で、1997年4月~2001年3月までは、出演者の紹介および2曲目の開始はCM明けで、本編が始まると次回予告前までCMが一切なかった。また、ロゴがシオノギから"SHIONOGI"に変更されたほか、前述の1996年10月~1997年3月までのオープニングタイトルおよび提供クレジット(1997年4月~2001年3月まではOPの提供クレジット・EDの提供クレジット)およびエンディングタイトル(「おわり」も含む)は統一の白い雲を模した背景に表示していて、2001年3月まで続いた。
1曲目終了後→テーマソングに乗せ、「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」の文字が畫面中央あたりにゆっくりと拡大→畫面が白い雲を模した背景になり「提供 シオノギ制薬」が表示される。
ただしこの時期にアーティストの曲を中心に據える回があり、このときは會場をバックに「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」とだけ表示され、すぐ1曲目に入った。そして1曲目の終了後に司會者をバックに寫しながら、畫面中央もしくは下部に「提供 シオノギ制薬」と表示されるのみであった(提供コメントなし)。1996年10月~1997年3月までは、司會者の挨拶および1曲目で、1997年4月~2001年3月までは、出演者の紹介および2曲目の開始はCM明けで、本編が始まると次回予告前までCMが一切なかった。また、ロゴがシオノギから"SHIONOGI"に変更されたほか、前述の1996年10月~1997年3月までのオープニングタイトルおよび提供クレジット(1997年4月~2001年3月まではOPの提供クレジット・EDの提供クレジット)およびエンディングタイトル(「おわり」も含む)は統一の白い雲を模した背景に表示していて、2001年3月まで続いた。
『MUSIC FAIR 21』(2001年4月~)からは以下の流れ(現在もこの流れだが、細部には違いがある)。1曲目終了後→テーマソングに乗せ、「"SHIONOGI MUSIC FAIR 21"」(2008年9月まで。2008年10月以降は「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」)の文字が畫面中央にフェードイン→ブラインドのように畫面が切り替わり、「提供」の文字が上に、「シオノギ制薬」の文字が流れるように右→左と別々に表示される。なお、CMの開始は本編明けで、番組開始から次回予告前までCMが一切なかった。また、EDの提供クレジットおよび同タイトルは再びスタジオバックに表示されていて、タイトル部分も「おわり」から「END」に変更された。しかし、現在は「END」の表示はしておらず、前述の通り放送開始から2008年9月までは一部の回を除き記念撮影をバックにしていた。その後に、同年10月から2009年9月までは一部の回を除き次回からの出演者がトークしている映像をバックに表示されていて、タイトル部分も「END」から「來周の一言」に変更されたが、前述の地上アナログ放送がレターボックスでの放送移行に伴い、同年10月以降は統一のスタジオで歌っている映像をバックに表示されていて、タイトル部分の「來周の一言」の表示は廃止された。
1曲目終了後→テーマソングに乗せ、「"SHIONOGI MUSIC FAIR 21"」(2008年9月まで。2008年10月以降は「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」)の文字が畫面中央にフェードイン→ブラインドのように畫面が切り替わり、「提供」の文字が上に、「シオノギ制薬」の文字が流れるように右→左と別々に表示される。
なお、CMの開始は本編明けで、番組開始から次回予告前までCMが一切なかった。また、EDの提供クレジットおよび同タイトルは再びスタジオバックに表示されていて、タイトル部分も「おわり」から「END」に変更された。しかし、現在は「END」の表示はしておらず、前述の通り放送開始から2008年9月までは一部の回を除き記念撮影をバックにしていた。その後に、同年10月から2009年9月までは一部の回を除き次回からの出演者がトークしている映像をバックに表示されていて、タイトル部分も「END」から「來周の一言」に変更されたが、前述の地上アナログ放送がレターボックスでの放送移行に伴い、同年10月以降は統一のスタジオで歌っている映像をバックに表示されていて、タイトル部分の「來周の一言」の表示は廃止された。
次回予告[編集]
2001年3月まで:スタジオで歌っている映像バックでエンディングの提供読みを擔當した女性によるアナウンスだった(1989年3月までは中村啟子がアナウンスをしていた)
2001年4月から2009年9月まで:前述の土曜18時の枠移動に伴い、四角に抜かれた部分に次回からの出演者映像が映っているバックで鈴木杏樹と恵俊彰がアナウンスをしていた
2009年10月以降:地上アナログ放送がレターボックスでの放送に移行したのに伴い、一部の回を除き次回からの出演者の紹介映像バックと司會者と出演者がトークをしている映像バックとなった(ナレーションは一部の回を除き、引き続き鈴木杏樹と恵俊彰)
エンディングの提供読み[編集]
「皆様の健康と幸福に奉仕する塩野義(シオノギ)制薬がお送りしました。」というナレーションである。長らく次回予告のナレーションを擔當した女性によるアナウンスだった(1989年3月までナレーターは中村啟子)が、前述の土曜18時の枠移動に伴い、2001年4月以降は固定の女性によるアナウンスとなった。
出演者について[編集]
番組スポンサーが塩野義制薬であるため、スポンサー以外の制薬會社のCM出演者は、原則として出演しない。インディーズで活動する歌手においてもメーカー問わずに出演はしていない。
過去に、大正制薬の育毛剤CMの契約中だった中村雅俊、武田薬品工業の滋養強壯剤CMソングの契約中だった斉藤和義が出演した事があった。塩野義制薬は、當時から育毛剤、滋養強壯剤を製造販売していないため、例外として出演が可能であった。
無論、司會を務めている恵の相方の石冢英彥が第一三共ヘルスケアの一般用胃腸薬CMの契約中であっても、當CMには恵本人が出演していないため、問題なく出演している。2011年1月22日・1月29日放送で、AKB48の板野友美がソロで出演した際も、同僚の篠田麻里子・小嶋陽菜・大島優子がエスエス制薬のビタミン剤CMの契約中でも板野が出演できており、2011年2月12日放送分においてもAKB48の派生ユニットの渡り廊下走り隊7も出演できたため、恵と同じケースとなった。更には同年の5月21日・5月28日放送分でもAKB48本體であってもCM出演中の3人の出演はしなかった。
公開収録[編集]
初期10年ほどは公開収録を行っていたが、現在は番組の節目ごとに行われるのみとなり(2001年3月までの日曜日時代の23時台前半枠も番組の節目ごとに行われていた)、通常の収録はごく限られた関系者しかスタジオに入ることができない(観客の拍手・笑い聲があるが、いずれも編集時に入れたもので実際にはスタジオ內に観客はいない)。ただし、『MUSIC FAIR 21』では開始から半年ほどはスタジオに100名前後の観客を入れた公開収録が行われていたほか、その後も不定期ながらも行われていた(記念撮影のコーナーでは、一時期観客席でも行われていた)。なお、『MUSIC FAIR』改題後は今のところスタジオでの公開収録は行われていない。
公開収録の多くは、大阪(フェスティバルホールなど)で行われる。これは、同地に本社を構えるスポンサー・塩野義制薬への配慮からである。ただし放送2,000回記念(2004年3月6日 - 27日放送分)、及び放送2,200回特別月間(2008年3月)は東京國際フォーラムにて収録されている。
なお、大阪厚生年金ホールで収録された放送1,100回記念(1986年3月23日・30日放送分/全2回)と、前述の放送2,000回記念(2004年6日・13日・20日・27日放送分/全4回)は、橫浜市にある放送ライブラリーに所蔵されており、無料で視聴することが可能である。
『シオノギ・ミュージック フェア』(英稱:)は、フジテレビ系列(一部地域を除く。後述)で放送されている音楽番組である(ハイビジョン製作・字幕放送)。1964年8月31日に放送開始し、46年経った現在もなお続いている長壽番組でもある。略稱は「MF」、「ミュージックフェア」、「Mフェア」。
正式タイトルが示すように、開始當初から現在まで塩野義制薬(シオノギ制薬)による一社提供番組で2011年現在、制薬會社側おける唯一の一社提供番組である。