《阿清小調》是2002年5月22日 松井由利夫作詞,水森英夫作曲的歌曲
基本介紹
- 中文名:阿清小調
- 所屬專輯:きよしのズンドコ節
- 填詞:松井由利夫
- 譜曲:水森英夫
- 編曲:伊戸のりお
- 發行日期:2002年5月22日
- 歌曲類型:演歌
- 所屬唱片公司:日本コロムビア株式會社(NIPPON COLUMBIA CO., LTD
專輯信息,歌曲簡介,歌詞全本,所獲獎項,
專輯信息
1.きよしのズンドコ節
作詩:松井由利夫
作曲:水森英夫
編曲:伊戸のりお
2.送戀譜(そうれんふ)
作詩:アベ·イチロー
作曲:珊瑚宣俊
編曲:伊戸のりお
3.きよしのズンドコ節 (原創卡拉OK)
4.送戀譜(そうれんふ) (原創卡拉OK)
歌曲簡介
《ズンドコ節》被稱作《海軍小調》,從1945年開始流行。作詞和作曲者不詳,因此不涉及著作權的問題,後來被很多日本歌手演繹成各種版本,其中最著名的便是田端義夫的《ズンドコ節(街の伊達男)》、小林旭的《アキラのズンドコ節》、冰川清志的《きよしのズンドコ節》。
田端義夫的《ズンドコ節(街の伊達男)》是在戰後出版發售的,也是第一次出現《ズンドコ節》的名字。通過田端的主音電吉他和伴奏木吉他的雙重演奏,充滿了濃郁的布魯士舞風,歌詞的內容也變更為當時潮男們的愛情。
小林旭的《アキラのズンドコ節》作為《來自海邊的流浪者》系列的第二輯《飄過碼頭的海風》的主題曲於1960年誕生,歌詞也變更為年輕男女之間的愛情故事。
冰川清志的《きよしのズンドコ節》於2002年問世,根據作詞者松井由利夫和演唱者冰川清志的意向,歌詞變更為懷念遠在故鄉生活的母親,而整首歌曲也由情愛主題升華為年輕人為了生活在異鄉努力工作打拚的勵志主題。同年該曲被“日本盂蘭盆會舞大會”選為會歌。2002年底第53屆紅白歌會首次登台,2008年底第59屆紅白歌會作為白組大壓軸再次出場。歌曲演唱結束後,冰川那忘情的哭泣讓多少人至今難忘。。。
歌詞全本
● 第一段●
ズンズンズン ズン節 ズンズンズン ズン節
風に吹かれて 花が散る 【狂風吹襲,花朵飄落】
雨に濡れても 花が散る 【驟雨傾盆,花兒凋零】
咲いた花なら いつか散る【綻放的鮮花總有一天會衰敗】
おなじさだめの 戀の花 【命運相同的還有那愛情之花】
~
向こう橫丁の ラーメン屋 【對面小巷裡的拉麵館】
赤いあの娘の チャイナ服 【穿著紅色旗袍的小姑娘】
そっと目くばせ チャーシューを【 她偷偷地用眼神暗示我 】
いつもおまけに 2·3枚 【叉燒又多送給了我兩三塊】
● 第二段●
明日 明後日 明々後日 【明天 後天 大後天】
変わる心の 風車 【變換的心情好似風車一般】
胸に涙が あふれても 【淚水只能在心裡流淌】
顏にゃ出せない 男なら 【而不能出現在男人的臉上】
~
角のガソリン スタンドの【 站在街角的加油站 】
オイルまみれの お下げ髪 【髮絲油膩膩地垂下 】
なぜかまぶしい 糸切り歯 【嘴角醒目的虎牙】
こぼれエクボが 気にかかる 【深陷的面頰令人揪心】
ズンズンズン ズン節 ズンズンズン ズン節
● 第三段●
辛い時でも 泣き言は 【就算再艱難,哭訴的話語】
口を結んで 一文字 【也絕不會提一個字】
いつかかならず 【總有一天我一定會】
故郷へ錦かざって 帰るから 【衣錦還鄉】
~
守り袋を 抱きしめて 【戴著我的護身符】
お國訛りで 歌うのさ 【用家鄉的方言高唱著】
西の空見て 呼んでみる 【望向西邊的天空 大聲呼喚】
遠くやさしい お母さん 【我遠在家鄉的母親】
ズンズンズン ズン節 ズンズンズン ズン節
所獲獎項
● 第35回日本有線大賞【日本有線大獎】
﹡ 有線音楽優秀賞(演歌):《きよしのズンドコ節》
● 第44回日本レコード大賞【日本唱片大獎】
﹡ 金賞:《きよしのズンドコ節》
● 第35回ALL JAPANリクエストアワード【全日本點播時間】——俗稱“大阪有線大賞【大阪有線大獎】”
﹡ 演歌グランプリ【演歌最高獎】(V1):《きよしのズンドコ節》
● 第17回日本ゴールドディスク大賞【日本金唱片大獎】
﹡ ソング·オブ·ザ·イヤー(演歌·歌謠曲部門)【當年入選曲(演歌·歌謠曲類)】:《きよしのズンドコ節》