藤原道兼

藤原 道兼(ふじわら の みちかね、応和元年(961年) - 長徳元年5月8日(995年6月8日))是平安時代中期的公卿。藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原兼家的三子。

基本介紹

  • 中文名:藤原道兼
  • 外文名:ふじわら の みちかね
  • 國籍:日本
  • 出生日期:961年
系譜,官位,

系譜

母:藤原時姫(藤原中正の娘)
正妻:藤原遠量の娘 - のち藤原顕光室
二男:藤原兼隆(985-1053)
三男:藤原兼綱(988-1058)(母は藤原國光の娘とも)
四男:藤原兼信
二女:二條殿御方[5] - 藤原威子女房
妻:藤原繁子(藤原師輔の娘)
長女:藤原尊子(984-1022) -一條天皇女御、後為藤原通任室
生母不明
長男:福足君

官位

官位為正二位・関白・右大臣。贈正一位・太政大臣。別稱粟田殿、二條殿、町尻殿。

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