簡介
姓名:碧川企救男
日本名:みどりかわ きくお
關係:婦人運動家碧川かたの夫、映畫カメラマン
碧川道夫の父。
經歷
福岡県企救郡小倉町に長崎裁判所小倉區裁判所長碧川真澄、みねの二男として生まれた。父真澄はもと伊予新谷藩の下級
武士。
米子の角盤高等國小校、鳥取中學(鳥取西高等學校)を経て東京専門學校英語政治科現在の早稲田大學)を卒業。
北海道集治監釧路分監出張所(網走刑務所)に行き、そこで一年間生活をした
明治35年(
1902年)『小樽新聞』の論說記者になる。北海の地に橫行した
財閥の土地収奪や、囚人を駆り立て、鉄道線路敷設を強行して、多くの凍死者を続出させた極悪非道な、監獄部屋人夫の慘、先住アイヌの追い立ての殘酷さを主題に、銳くメスを入れ、為政者の猛省を促し、
世論喚起を図った
大正13年(
1924年)小樽高商に始まる軍事教練制度が発令されると、全國の新聞に反対運動のキャンペーンを開始し、ついには
北海道から追放された。
家族
妻 かた(鳥取藩
士(城代
家老)和田邦之助的女兒)長男
道夫(電影攝影師)長女 澄子二女 國枝三女 芳子(電影監督
內田吐夢的妻)四女 清