基本介紹
歷史,歷代藩主,內藤(ないとう)家,板倉(いたくら)家,本多(ほんだ)家,幕末の領地,
歷史
1622年(元和8年)立藩。當時鳥居忠政完成遷移山形藩的工作。其中上總國佐貫藩主內藤政長以七萬石入主。此外政長嫡子政男領有2萬石。1634年(寬永11年)政長逝世。政長遺言由政晴繼承2萬石領地,泉藩因此建立。
1702年,內藤政森移封至上野國安中藩。由板倉重同,重同之子板倉勝清在1746年(延享3年)改封至遠江國相良藩。並由本多忠如入替,第二代藩主本多忠籌實行藩政改革,獲幕府信任,獲得武藏及上野兩國合共5000石領地。藩主在戊辰戰爭中為幕府後,戰後被奪去官職以及減去2千石,由養子本多忠伸繼承。1871年廢藩置縣被廢藩。
歷代藩主
內藤(ないとう)家
2萬石。譜代。 內藤政晴(まさはる)
內藤政親(まさちか)
內藤政森(まさもり)
板倉(いたくら)家
1萬5000石。譜代。板倉重同(しげあつ)
板倉勝清(かつきよ)
本多(ほんだ)家
1萬5000石→2萬石→1萬8000石。譜代。本多忠如(ただゆき)
本多忠籌(ただかず)
本多忠誠(ただしげ)
本多忠知(ただとも)
本多忠徳(ただのり)
本多忠紀(ただとし)
本多忠伸(ただのぶ)
幕末の領地
菊多郡- 36村(1村中的一半編入白河県)
勢多郡- 9村
武蔵國
埼玉郡- 10村