夜晚在街道上行走,會見一身穿袖子很短的和服的大肚女子,手拿梳子。要求幫你梳頭,若同意讓她幫你梳頭,就把你的頭顱割下。(另一種說法:喜歡的新衣,但得不到而產生怨念的女子所化)
基本介紹
- 中文名:小袖之手
- 外文名:こそでのて
目錄,參考文獻[編集],
『今昔百鬼拾遺』の解說文には「唐詩に 昨日僧裙帯上斷腸猶繋琵琶弦とは 妓女亡ぬるを いためる詩にして 僧に供養せしうかれめの帯に なを琵琶の 糸のかかりてありしを見て、腸をたちてかなしめる心也 すべて 女ははかなき衣服調度に心をとどめて なき跡の小袖より 手の出しをまのあたり見し人ありと雲」とある。
游女の死後、死皮(死者の衣服を寺に収める風習)となった小袖を見て、友人たちがその游女の在りし日を偲んで悲しむ一方、當の游女はむしろ、誰から身請されずに死ぬまで不自由な生活を強いられたことを悲しみ、身請の金を求めるあまり小袖から手が伸びているのであり、江戸時代の吉原游郭を風刺した創作と解釈されている。
また、游女がこの小袖を著飾りたかった願いが葉わず、その怨みによって小袖から手が伸びたもの、または小袖の持ち主だった女の生への執著心の妖怪化、付喪神(器物が化けた妖怪)の一種などともいわれる。
妖怪を主題とした嘉永時代の狂歌本『狂歌百物語』にも「小袖手(こそでのて)」と題して描かれており、本來、死んだ人間の小袖は形見の品となったり、寺に納められて供養されるはずが、高級な小袖が売卻され、成仏できない霊がその小袖に取り憑いたものと解釈されている。
翻譯:小袖之手(こそでのて)是鳥山石燕的妖怪畫集『今昔百鬼拾遺』等的江戶時代古書有的日本的妖怪。小袖(袖口的狹窄的高級和服)從袖子,幽靈似的女性的手伸長了的東西。
『今昔百鬼拾遺』的解說文「唐詩有悼妓女詩:“昨日施僧裙帶上,斷腸猶系琵琶弦。”見琵琶絲弦猶繫於僧所弔祭之妓女裙帶,不禁悲欲斷腸。聞有人見故人窄袖衣中忽現一手,皆由女子愛衣服器物之心也」。
游女死後,看到身著死皮(將死者衣服收進寺廟的風俗)的小袖子,朋友們為追憶游女的往日而悲傷,與此同時,這位游女則為沒有被誰請去而死之前被迫過著不自由的生活而悲傷,為過分追求贖身錢而從袖子裡伸出手。被解釋為諷刺了江戶時代的吉原游廓的創作。
另外,據說妓女無法實現想穿上這件小袖子的願望,因此怨恨而從小袖伸出手,或是對身為小袖主人的女生的執著心妖怪化、付喪神(器物妖怪)的一種。
在以妖怪為主題的嘉永時代的狂歌本《狂歌百物語》中也以“小袖手”為題進行描寫,本來死去的人的小袖子應該作為紀念品,被寺廟供奉,但是卻被出售高級的小袖子,無法成佛的靈附著在了小袖上的解釋。
俗學者・藤沢衛彥の著書『妖怪畫談全集 日本篇 上』には「怨みに籠る小袖の怪」と題して以下のような話があり、石燕の妖怪畫との関連性は不明だが、文獻によってはこれが「小袖の手」にまつわる怪異譚として述べられている。
また、1657年(明暦3年)に江戸で発生した大火災・明暦の大火は、別名を振袖火事といって、戀煩いの末に亡くなった娘の振袖を、供養のために寺で焼いたところ、火のついた振袖が風で煽られて火災の原因になったという伝承があるが、これも同様に著物に込められた怨念の仕業によるものとする說がある。
また、近藤瑞木は江戸時代の怪談集にいくつか類話を指摘しているが、最も典拠に近いのは『諸州奇事談』巻之二「執著の小袖」であるとしている。
翻譯:俗學家藤澤衛彥的著作《妖怪畫談全集日本篇上》中,以“被怨恨籠罩的小袖妖怪”為題,有以下的話題,與石燕的妖怪畫的關聯性不明,但是根據文獻記載,這個是關於“小袖之手”的怪異傳說。
慶長年間,住在京都的一名叫松屋七左衛門的男子,為了女兒從舊衣店買了和服。不久,女兒就病倒了。另外,七左衛門也在家裡看到了女幽靈,那個幽靈穿著和女兒買的一樣的衣服。七左衛門覺得那件和服很可惡,決定出售,掛在衣架上。於是,白色的手從袖口伸了出來。仔細調查了下和服,發現布被斜披著切斷,縫合得很好,有弄髒了的痕跡。這大概是侍奉武士而被討伐的女性和服吧,於是在菩提寺供奉和服並將其吊起來,結果女兒的病情也恢復了。
另外,1657年(明歷3年)江戶發生的大火災·明歷大火,別名叫振袖火災,據說是因戀愛煩惱而去世的女兒振袖在寺廟裡為供奉而焚燒,結果被風吹著點燃的振袖成為了火災的原因。有種說法認為,這是由於包含了怨念而造成的。
另外,近藤瑞木在江戶時代的怪談集中指出了幾個類話,最接近典據的則是《諸州奇事》卷之二《執著的小袖》。
獻給恪遵“子不語怪力亂神”之教誨者——
唐詩有悼妓女詩:“昨日施僧裙帶上,斷腸猶系琵琶弦。”
見琵琶絲弦猶繫於僧所弔祭之妓女裙帶,不禁悲欲斷腸。
聞有人見故人窄袖衣中忽現一手,皆由女子愛衣服器物之心也。
《今昔百鬼拾遺》/中之卷·霧
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