《馬が語る古代東アジア世界史》是汲古書院出版的圖書,作者是鶴間和幸 編,村松弘一 編
基本介紹
- 中文名:馬が語る古代東アジア世界史
- 作者:鶴間和幸 編、村松弘一 編
- 出版時間:2018年2月
- 出版社:汲古書院
- 頁數:432 頁
- ISBN:9784762966071
- 定價:8000 日元
- 裝幀:A5
內容簡介
本書では、草原(ステップ)とは異なる東アジアの環境のなかで馬はどのように利用され、生産され、供給されたのか、それを基本的なテーマに據えた十五本の論文がまとめられている。まず、古代の馬の利用について馬車に関する論文が三本あり、それぞれ、車の起源・中國の馬車・秦の始皇帝陵の馬車をテーマとしている。第一章、林俊雄“車の起源と発展”は、メソポタミア・ヨーロッパの車の事例を四頭立ての四輪戦車、スポーク付き車輪をキーワードに考古資料をもとに論じる。西方から中國に伝わった時の戦車は、秦の始皇帝陵の銅車馬に見られるような、スポーク付き二輪車だけで、四輪車は伝わらなかったという。第二章、濱川栄“中國の四輪馬車”は、文獻資料にみられる古代中國の“四輪馬車”を分析し、それが前近代中國において普及しなかったとし、中國では平時の移動・運搬手段として牛や船ほどの活躍の場が馬に與...(展開全部) 本書では、草原(ステップ)とは異なる東アジアの環境のなかで馬はどのように利用され、生産され、供給されたのか、それを基本的なテーマに據えた十五本の論文がまとめられている。まず、古代の馬の利用について馬車に関する論文が三本あり、それぞれ、車の起源・中國の馬車・秦の始皇帝陵の馬車をテーマとしている。第一章、林俊雄“車の起源と発展”は、メソポタミア・ヨーロッパの車の事例を四頭立ての四輪戦車、スポーク付き車輪をキーワードに考古資料をもとに論じる。西方から中國に伝わった時の戦車は、秦の始皇帝陵の銅車馬に見られるような、スポーク付き二輪車だけで、四輪車は伝わらなかったという。第二章、濱川栄“中國の四輪馬車”は、文獻資料にみられる古代中國の“四輪馬車”を分析し、それが前近代中國において普及しなかったとし、中國では平時の移動・運搬手段として牛や船ほどの活躍の場が馬に與えられなかったのではないかと斷ずる。第三章、鶴間和幸“秦始皇帝陵出土銅車馬に見る馬の制御システム(講演録)”は、秦の始皇帝陵から出土した二體の銅車馬の馬車の各部位を説明し、さらに、複製品を分解・組み立てをした際に作成したマニュアルを紹介することによって、スポーク付き二輪四頭立て馬車である銅車馬の構造について論じる。古代中國の人々の馬そのものへの関心について、第四章、菅野恵美“中國古代の馬の管理と漢代墓葬裝飾”は官馬の管理について敦煌懸泉漢簡‘伝馬名籍’、馬の鑑定(相馬)について‘伯楽相馬経’‘銅馬相法’を分析する。それをもとに畫像石等に見られる馬について論じている。第五章、久慈大介““生きた禮器”としての馬──殷王朝後期における馬利用の本格的開始と“馬の道”──”は新石器・二里頭文化期から殷王朝までの馬を概観。特に殷墟出土の馬坑・馬車坑に注目し、古代中國ではそのころから馬の本格的な利用がはじまったとする。殷王朝は、馬そのものとその生産や管理の情報・技術を外部の異民族から獲得し、國家として管理していたと考える。第六章、菊地大樹・覚張隆史“秦國の馬匹生産──考古科學からのアプローチ──”は西方から勃興した秦國の馬の生産について動物考古學・同位體化學・古代のDNA分析による馬の毛色の復元などの學際的視點から論じている。また、馬の生産・管理の方法について‘周禮’や睡虎地秦簡の秦律、馬俑などの考古資料、馬廄坑などの遺構から論じた。成熟した養馬技術と厳格な飼養管理のなかで組織された軍馬を背景として秦の始皇帝が天下を統一したとする。第七章、村松弘一“秦漢時代関中平原・黃土高原の環境と馬──漢代廄牧システムの形成と崩壊──”は馬の生産と調教・調達に関して黃土高原の牧と関中平原の廄および辺境の屬國都尉・部都尉との関係に著目し、秦・前漢時代は黃土高原南端の関中平原を拠點としたからこそ安定した馬の生産・供給が可能であったが、後漢時代になるとそのシステムは崩壊したとする。中國の周辺地域における馬と人間の関係については、まず、第八章、青木俊介“漢代の関所における馬の通行規制とその実態──肩水金関漢簡の分析から──”では、居延の肩水金関出土木簡を活用し、馬の通関に関する規定、通行証明書とその作成過程を分析。漢代には厳密な馬の通行・通関規制制度が存在したものの、それを主に支えていたのは出発地の県・官府における登記と審査であって、関所における検分はさほど厳格なものではなかったとする。第九章、李相勲“新羅の馬と牧場(講演録)”はこれまでほとんど論じられていない古代朝鮮半島における馬の生産・管理について、新羅の乗馬と騎兵、新羅馬の品種と牧場規模、新羅の牧場の特徴をテーマに分析した。新羅は慶尚南道の島々に牧場を経営し、三國統一以後は西南海岸の島を牧場としたという。第十章、吉田愛“北朝後期の軍馬供給──洛陽遷都後の北魏から北斉期を中心に──”は、北魏時代に“馬場”とよばれる馬の生産・管理地は北方の遊牧地帯にあり、洛陽遷都後も河西・平城の牧地が馬場となったが、北斉では代州などに良馬専用の牧場が置かれ、山嶽~盆地間の短距離上下移動型の遊牧が行われた。馬の生産地と都が離れており、‘斉民要術’に馬の飼養についての記述があるのは、農耕地帯における馬の生産が喫緊の課題であったことを示すという。第十一章、福島恵“唐前半期における馬の域外調達──宦官“劉元尚墓誌”を中心に──”では、唐の武韋時代から安史の亂の直前までの宦官であった劉元尚の墓誌の文に著目し、“市馬使”による領域外からの馬の臨時調達について述べる。“市馬使”は馬の購入だけではなく、馬の調達を名目として、國際情勢の調査も任務であった。第十二章、河野保博“唐代・日本古代の馬と交通制度──日唐廄牧令の比較から──”は、駅伝制をささえる馬に著目し、近年発見された“天聖令”を利用して日中の律令の比較から考える。馬の管理について、唐では國家による一元的な統制がなされていたが、日本では在地の運営に対し國家は國司を通じて把握するに留まっていた。第十三章、河野剛彥“唐代の朝貢品・回賜品に見る馬”は唐と周辺諸國の間でおこなわれていた公的貿易の際にやりとりされる朝貢品・回賜品に著目し、唐の前半には北方遊牧民等から馬が朝貢品とされる事例は多く、後半になると減少する。第十四章、原瑠美“南宋臨安における馬の利用”は、南宋時代には、北宋以上に馬の確保と維持が困難であり、常に必要十分なだけの馬を揃えることができず、馬確保の困難は、結果的に南宋の軍事力弱體化の要因の一つとなっていく。また、臨安は観光地である西湖と接しており、馬車が走っており、また、軍営地に軍馬が配備され、皇帝祭祀で用いられる馬が皇城で管理されていたことなど、南宋臨安ならではの馬の利用狀況があったことを指摘した。最後に、第十五章、川嶋舟“ウマが持つ生物學的な特徴”は本書全體の前提となる古代に飼養されていたウマを考える上でのウマの生物學的な特徴についての覚書である。ウマの毛色の違いや體型の変化、ウマの生活パターンと飼養管理方法など、人間とウマの関係史を考える上での重要な視點を提示する。