日本皇陵

日本皇陵

日本皇陵是指日本皇家陵墓。日本皇家陵墓一直被視為神聖不可侵犯,日本宮內廳把日本近900個皇室古墓列為禁地,皇陵中葬除了歷代天皇的遺骸,可能還埋藏了大量珍貴文物,例如鑲嵌黃金的寶劍、翡翠寶石、精心製作的冠冕、用黏土雕塑而成的小雕像、精美的老虎和龍的壁畫、還有來自中國和朝鮮的神聖鏡子。

皇陵中可能有日本皇室起源的證據。日本歷史對天皇祖先的記載非常模糊,據說第一位天皇神武天皇在公元前660年即位,是日本神道教中“天照大神”的後裔,而考古學上最早可考的天皇是第十代的崇神天皇

基本介紹

  • 中文名稱:日本皇陵
  • 外文名稱:Should's ancestral hall
  • 地理位置:日本
  • 著名景點:日本皇陵
皇陵規模,墓制形式,第一皇陵,昭和皇陵,天皇帝位,陵墓分布,神代,古代,平安時代,鎌倉時代,南北朝時代,室町・戦國時代,江戸時代,近現代,

皇陵規模

日本最大型及最重要的陵墓就是包括124位日本天皇在內的896個皇室墳地。這些皇室墳地中,古墳大多利用天然地形造墳,建於山頂、山腰位置。根據古墳堆土的形式,有圓墳,方墳,前方後圓墳,上圓下方墳等等的區別。其中以前方後圓墳的規模最為雄偉,形狀也十分優美,再加上它是國外沒有而日本獨具的形式,所以可以把它稱為日本高冢式古墳的代表。
日本天皇祭拜皇陵日本天皇祭拜皇陵
根據古墳外形的發展演變,一般又可分為前、中、後三期。它恰好同日本國家開始統一、大和朝廷昌盛、最後走向衰亡這一過程相一致。

墓制形式

早期古墳主要以圓形、山形為主。5世紀以後是古墳的中期,此時古墳結構以前方後圓為主,這一時期,高冢林立,形象地反映著當時大和政權的興盛和大王的權威。仁德天皇陵便是這一時期的代表。
6世紀以後,隨著薄葬思想和佛教的盛行,古墳規模逐漸縮小,平安時代末期開始,天皇駕崩後改為火葬,骨灰、頭髮、牙齒、手臂等存放在寺院的方形堂、多寶塔和石塔里。自第108代後水尾天皇后,再次改為土葬,陵墓的形狀變為圓形或上圓下方。

第一皇陵

坐落於大阪府堺市大仙町的仁德天皇陵占地面積47萬平方米,被認定為現存最大的天皇陵。
仁德天皇皇陵仁德天皇皇陵
仁德天皇是傳說中的第十六代天皇,大約生活在公元5世紀初。這期間正是大和朝廷統一國家的鼎盛時期,也使得它比起前期古墳顯得氣勢磅礴。
仁德天皇陵全長486米,後圓部直徑249米,高35米,前方部寬305米,高33米,周圍有三道壕溝保護。為了營建出仁德陵的高大,不知有多少無名的人被迫付出了難以計量的勞動。
曾有土木專家推算過,得出了下面這些驚人的數字:大墳所用的總土方約1405866立方米。這些土方如以一人之力,從平均200米外的地點搬運而來,當共需1406000工次,以千人之力搬運而來,當共需4年。
仁德天皇陵地處一個古墳群落之中,其北面是反正天皇陵,南面是履中天皇陵,這三座陵墓被稱為“百舌鳥耳原三陵”。根據宮內廳的規定,為了防止已故天皇的陵寢受到打擾,外人不得進入各天皇陵區。
日本皇陵從建築結構上一般內外都分好幾層,儘管允許參觀的地方應該還離靈柩很遠,但是可以看到陵內牆上的壁畫。那些壁畫很有研究價值,據說曾有一些古陵內的壁畫的天文圖描繪的是朝鮮半島上空。還有一些圖案內是中國古代的天干地支。
據報導,除了歷史學會外,宮內廳也將向植物學專家開放皇陵考察。據說是因為皇陵前種了很多天皇生前喜愛的植物。

昭和皇陵

東京都八王子市的昭和(日本第124代天皇)天皇陵園,園內道路都是用細小的石子鋪成的,輕輕踩在上面,就沙沙作響,和空中呼呼的風聲呼應,給人一種淒涼、孤獨之感。這條“表參道”(中央大道)約5米寬,400米長,路旁種了約150棵京都北山杉樹,棵棵參天挺拔,像是拱衛皇陵的“士兵”。
昭和(日本第124代天皇)天皇陵園昭和(日本第124代天皇)天皇陵園
陵園占地46萬平方米,共有大正天皇(日本第123代天皇)及皇后,昭和天皇及皇后四座皇陵。順著“表參道”徑直往前走,到了盡頭,路就自然分成兩叉,一條通往大正天皇陵,一條通往昭和天皇陵。
大正天皇是昭和天皇的父親,兩座陵離得不遠。陵的外形都是上圓下方,高11米左右。
昭和天皇陵內,存放著天皇的靈柩,一般人不準進入陵內半步。天皇陵前,立著牌坊,下面還有3級台階。在牌坊和台階之間,有一層鐵圍欄。

天皇帝位

天皇作為日本實際最高統治者的時間並不長。自公元6世紀大和國征服本州島和九州島的大部分地區後,天皇的權力達到頂峰。但從10世紀開始,日本經歷了攝關政治、源平相爭、鎌倉幕府室町幕府、安土桃山時代、江戶幕府,天皇權力被架空了近一千年的時間。直至明治天皇睦仁才重新掌權。裕仁(昭和)在位時期發動了侵略中國和亞太其他國家的大戰。
日本天皇祭拜皇陵2日本天皇祭拜皇陵2
日本歷史對天皇祖先的記載非常模糊,只說第一位天皇神武天皇,是“天照大神”的後裔,一直到第10代的崇神天皇的身份才有實際文物支持。

陵墓分布

神代

天皇名 陵墓名 形式 古墳名 所在地
神武 畝傍山東北陵 円丘 山本ミサンザイ(神武田)古墳 奈良県橿原市大久保町
綏靖 桃花島田丘上陵 円丘 冢山古墳 奈良県橿原市四條町
安寧 畝傍西南御陰井上陵 山形 奈良県橿原市吉田町
懿徳 畝傍山南繊沙渓上陵 山形 奈良県橿原市西池尻町
孝昭 掖上博多山上陵 山形 奈良県御所市三室
孝安 玉手丘上陵 円丘 奈良県御所市玉手
孝霊 片丘馬坂陵 山形 奈良県北葛城郡王寺町
孝元 剣池嶋上陵 山形 中山冢1~3號墳 奈良県橿原市石川町
開化 春日率川坂本陵 前方後円 念仏寺山古墳 奈良市油阪町
崇神 山辺道勾岡上陵 前方後円 行燈山古墳 奈良県天理市柳本町
垂仁 菅原伏見東陵 前方後円 寶來山古墳 奈良市尼辻町
景行 山辺道上陵 前方後円 渋谷向山古墳 奈良県天理市渋谷町
成務 狹城盾列池後陵 前方後円 佐紀石冢山古墳 奈良市山陵町
仲哀 恵我長野西陵 前方後円 岡ミサンザイ古墳 大阪府藤井寺市藤井寺4
応神 恵我藻伏崗陵 前方後円 譽田御廟山古墳 大阪府羽曳野市譽田
仁徳 百舌鳥耳原中陵 前方後円 大仙陵古墳 堺市堺區大仙町
履中 百舌鳥耳原南陵 前方後円 石津丘(ミサンザイ)古墳 堺市西區石津ヶ丘
反正 百舌鳥耳原北陵 前方後円 田出井山古墳 堺市堺區北三國ヶ丘町
允恭 恵我長野北陵 前方後円 國府市ノ山古墳 大阪府藤井寺市國府
安康 菅原伏見西陵 方丘 奈良市寶來町
雄略 丹比高鷲原陵 円丘 島泉丸山古墳+平冢古墳 大阪府羽曳野市島泉
清寧 河內坂門原陵 前方後円 西浦白髪山古墳 大阪府羽曳野市西浦
顕宗 傍丘磐杯丘南陵 前方後円 奈良県香芝市北今市
仁賢 埴生坂本陵 前方後円 野中ボケ山古墳 大阪府藤井寺市青山
武烈 傍丘磐杯丘北陵 山形 奈良県香芝市今泉

古代

天皇名 陵墓名 形式 古墳名 所在地
継體 三島藍野陵 前方後円 太田茶臼山古墳 大阪府茨木市大字太田
安閒 古市高屋丘陵 前方後円 高屋築山古墳 大阪府羽曳野市古市5
宣化 身狹桃花鳥坂上陵 前方後円 鳥屋ミサンザイ古墳 奈良県橿原市鳥屋町
欽明 檜隈坂合陵 前方後円 梅山古墳 奈良県高市郡明日香村大字平田
敏達 河內磯長中尾陵 前方後円 太子西山古墳 大阪府南河內郡太子町
用明 河內磯長原陵 方丘 春日向山古墳 大阪府南河內郡太子町
崇峻 倉梯岡陵 円丘 奈良県桜井市大字倉梯
推古 磯長山田陵 方丘 山田高冢古墳 大阪府南河內郡太子町
舒明 押坂內陵 八角 忍坂段冢古墳 奈良県桜井市大字忍坂
皇極(→斉明)
孝徳 大阪磯長陵 円丘 山田上ノ山古墳 大阪府南河內郡太子町
斉明 越智崗上陵 円丘 車木ケンノウ古墳 奈良県高市郡高取町
天智 山科陵 八角 山科御廟野古墳 京都市山科御陵上御廟野町
弘文 長等山前陵 円丘 園城寺亀丘古墳 滋賀県大津市御陵町
天武 檜隈大內陵 八角 野口王墓古墳 奈良県高市郡明日香村
持統 檜隈大內陵 八角 野口王墓古墳(天武と合葬) 奈良県高市郡明日香村
文武 檜隈安古岡上陵 山形 栗原冢穴古墳 奈良県高市郡明日香村大字栗原
元明 奈保山東陵 山形 奈良市奈良阪町
元正 奈保山西陵 山形 奈良市奈良阪町
聖武 佐保山南陵 山形 奈良市法蓮町
孝謙(→稱徳)
淳仁 淡路陵 山形 兵庫県三原郡南淡町
稱徳 高野陵 前方後円 佐紀高冢山古墳 奈良市山陵町
光仁 田原東陵 円丘 奈良市日笠町

平安時代

天皇名 陵墓名 形式 古墳名 所在地
桓武 柏原陵 円丘 京都市伏見區桃山町
平城 楊梅陵 円丘 市庭古墳 奈良市佐紀町
嵯峨 嵯峨山上陵 円丘 京都市右京區北嵯峨朝原山町
(備考:陵を隠すことが遺詔されたので、厳密な意味の陵は存在しない)
淳和 大原野西嶺上陵 円丘 京都市西京區大原野南春日町
(備考:散骨されたので厳密な意味の陵は存在しない)
仁明 深草陵 方形 京都市伏見區深草東伊達町
文徳 田邑陵 円墳 太秦三尾古墳 京都市右京區太秦三尾町
清和 水尾山陵 円丘 京都市右京區嵯峨水尾清和
陽成 神楽岡東陵 八角丘 京都市左京區浄土寺真如町
光孝 後田邑陵 円丘 京都市右京區宇多野馬場町
宇多 大內山陵 方丘 京都市右京區鳴滝宇多野谷
醍醐 後山科陵 円形 京都市伏見區醍醐古道町
朱雀 醍醐陵 円丘 伏見區醍醐御陵東裏町
村上 村上陵 円丘 京都市右京區鳴滝宇多野谷
冷泉 桜本陵 円丘 京都市左京區鹿ヶ谷法然院町
円融 後村上陵 円丘 京都市右京區宇多野福王子町
花山 紙屋川上陵 方丘 京都市北區衣笠北高橋町
一條 円融寺北陵 円丘 京都市右京區竜安寺
三條 北山陵 円丘 京都市北區衣笠西尊上院町
後一條 菩提樹院陵 円丘 京都市左京區吉田神楽岡町
後朱雀 円乗寺陵 円丘 京都市右京區竜安寺朱山
後冷泉 円教寺陵 円丘 京都市右京區竜安寺朱山
後三條 円宗寺陵 円丘 京都市右京區竜安寺朱山
白河 成菩堤院陵 方丘 京都市伏見區竹田浄菩堤院町
堀河 後円教寺陵 円丘 京都市右京區竜安寺朱山
鳥羽 安楽壽院陵 方形堂 京都市伏見區竹田內畑町
崇徳 白峯陵 方丘 香川県坂出市青海町
近衛 安楽壽院南陵 多寶塔 京都市伏見區竹田內畑町
後白河 法住寺陵 方形堂 京都市東山區三十三間堂廻り町
二條 香隆寺陵 円丘 京都市北區平野八丁柳町
六條 清閒寺陵 円丘 京都市東山區清閒寺歌ノ中山町
高倉 後清閒寺陵 方丘 京都市東山區清閒寺歌ノ中山町
安徳 阿彌陀寺陵 円丘 山口県下関市阿彌陀寺町 赤間神宮內

鎌倉時代

天皇名 陵墓名 形式 所在地
後鳥羽 大原陵 石造十三重塔 京都市左京區大原勝林院町
土御門 金原陵 八角丘 京都府長岡京市金ヶ原
順徳 大原陵 円丘 京都府左京區大原勝林院町
仲恭 九條陵 円丘 京都市伏見區深草本寺山町
後堀河 観音寺陵 円丘 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內
四條 月輪陵 石造九重塔 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內
後嵯峨 嵯峨南陵 方形堂 京都市右京區嵯峨天竜寺芒ノ馬場町 天龍寺內
後深草 深草北陵 方形堂 京都市伏見區深草坊町
亀山 亀山陵 方形堂 京都市右京區嵯峨天竜寺芒ノ馬場町 天龍寺內
後宇多 蓮華峯寺陵 方形堂・石造五輪塔 京都市右京區北嵯峨朝原山町
伏見 深草北陵 方形堂 京都市伏見區深草坊町
後伏見 深草北陵 方形堂 京都市伏見區深草坊町
後二條 北白河陵 円丘 京都市左京區白河追分町
花園 十楽院上陵 円丘 京都市東山區粟田口三條坊町

南北朝時代

天皇名 陵墓名 形式 所在地
後醍醐 塔尾陵 円丘 奈良県吉野郡吉野町吉野山 如意輪寺內
後村上 檜尾陵 円丘 大阪府河內長野市寺元 観心寺內
長慶 嵯峨東陵 円丘 京都市右京區嵯峨天龍寺角倉
後亀山 嵯峨小倉陵 石造五輪塔 京都市右京區嵯峨鳥居本小坂
光厳(北1) 山國陵 円丘 京都市右京區京北井戸町丸山
光明(北2) 大光明寺陵 円丘 京都市伏見區桃山町
崇光(北3) 大光明寺陵 円丘 京都市伏見區桃山町
後光厳(北4) 深草北陵 方形堂 京都市伏見區深草坊町
後円融(北5) 深草北陵 方形堂 京都市伏見區深草坊町
後小松 深草北陵 方形堂 京都市伏見區深草坊町

室町・戦國時代

天皇名 陵墓名 形式 所在地
稱光 深草北陵 方形堂 京都市伏見區深草坊町
後花園 後山國陵 石造寶篋印塔 京都市右京區京北井戸町丸山
后土御門 深草北陵 方形堂 京都市伏見區深草坊町
後柏原 深草北陵 方形堂 京都市伏見區深草坊町
後奈良 深草北陵 方形堂 京都市伏見區深草坊町
正親町 深草北陵 方形堂 京都市伏見區深草坊町

江戸時代

天皇名 陵墓名 形式 所在地
後陽成 深草北陵 方形堂 京都市伏見區深草坊町
後水尾 月輪陵 石造九重塔 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內
明正 月輪陵 石造九重塔 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內
後光明 月輪陵 石造九重塔 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內
後西 月輪陵 石造九重塔 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內
霊元 月輪陵 石造九重塔 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內
東山 月輪陵 石造九重塔 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內
中御門 月輪陵 石造九重塔 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內
桜町 月輪陵 石造九重塔 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內
桃園 月輪陵 石造九重塔 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內
後桜町 月輪陵 石造九重塔 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內
後桃園 月輪陵 石造九重塔 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內
光格 後月輪陵 石造九重塔 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內
仁孝 後月輪陵 石造九重塔 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內
孝明 後月輪東山陵 円丘 京都市東山區今熊野泉山町 泉涌寺內

近現代

天皇名 陵墓名 形式 所在地
明治伏見桃山陵 上円下方 京都市伏見區桃山町
大正多摩陵 上円下方 東京都八王子市長房町
昭和武蔵野陵 上円下方 東京都八王子市長房町

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