《博物志(上、下)》是平凡社出版的圖書,作者是串田孫一
基本介紹
- 書名:博物志(上、下)
- 作者:串田孫一
- 出版社:平凡社
- 出版時間:2001年8月
- 頁數:644 頁
- 裝幀:平裝
- ISBN:9784582763997
內容簡介
一輪の花にも、一匹の蟲にも、じっと目を凝らせばそこには大きな宇宙がある-。そこはかとないユーモアと詩心によって綴られた、串田孫一の豊かな世界。1971~72年社會思想社刊「博物誌1~3」を底本とする。 串田孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2005年7月8日)は、日本の詩人、哲學者、隨筆家。 東京市芝區生まれ。父は三菱銀行會長の串田萬蔵。駿河台や永田町や一番町に育つ。暁星中學校から、1932年、東京高等學校 (舊制)文科丙類入學。1938年、東京帝國大學哲學科卒。中學時代から登山を始めた。1938年、処女短編集『白椿』を刊行、戦前は上智大學で教える。戦後、1946年に『永遠の沈黙 パスカル小論』を上梓、『歴程』同人となる。舊制東京高等學校で教え、1955年、最初の山の本『若き日の山』を上梓、1958年、尾崎喜八らと山の文芸誌『アルプ』を創刊、1983年に終刊するまで責任編集者を務めた。また矢內原伊作や宇佐見英治らが創刊した文芸誌『同時代』にも同人として參加。東京外國語大學教授を務めたが65年退官。同年から1994年までFMラジオ番...(展開全部) 串田孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2005年7月8日)は、日本の詩人、哲學者、隨筆家。 東京市芝區生まれ。父は三菱銀行會長の串田萬蔵。駿河台や永田町や一番町に育つ。暁星中學校から、1932年、東京高等學校 (舊制)文科丙類入學。1938年、東京帝國大學哲學科卒。中學時代から登山を始めた。1938年、処女短編集『白椿』を刊行、戦前は上智大學で教える。戦後、1946年に『永遠の沈黙 パスカル小論』を上梓、『歴程』同人となる。舊制東京高等學校で教え、1955年、最初の山の本『若き日の山』を上梓、1958年、尾崎喜八らと山の文芸誌『アルプ』を創刊、1983年に終刊するまで責任編集者を務めた。また矢內原伊作や宇佐見英治らが創刊した文芸誌『同時代』にも同人として參加。東京外國語大學教授を務めたが65年退官。同年から1994年までFMラジオ番組「音楽の絵本」でパーソナリティを務めた。初見靖一の筆名をもつ。 サインを求められたとき本名の音をもじって「九四○五一」と書くことがあった。 著作は山嶽文學、畫集、小説、人生論、哲學書、翻訳など多岐にわたる。詩集『羊飼の時計』(1953)、『山のパンセ』などが主著。 妻は舊侯爵・佐々木行忠の長女・美枝子[1]、長男は俳優・演出家の串田和美、次男はグラフィックデザイナーの串田光弘。